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神様からの伝言

更新日:2022年9月4日

5月のある夜私は夢を見ました。


広い敷地の中でとても綺麗な巫女さまが舞を踊っていらっしゃいます。

そうしてどなたかと話しをされていました。

「日本を護っていらっしゃる神さまですね」「そう、新潟の間(あいだ)神社です」。間神社、はっきりと聞こえました。そうして記憶しました。

起きてすぐ忘れないように調べました。

間神社=河童の伝説のある新津の神社、とありました。

その夢が頭を離れず、居ても立っても居られなかったのですが、仕事が立て込んでいたために暫くは動けませんでした。


そうして私は7月20日に秘書と供に神社へお参りに馳せ参じた訳です。記事には新潟の新津駅近くとありました。新津駅は新潟駅からJR信越本線に乗り換える必要がありましたが、私たちは新潟駅からレンタカーを借りました。ナビではやはり間神社では検索されず新潟市秋葉区小口、ざっくりとした住所を目的として出発しました。その日は朝からいつもより心臓がドキドキ脈打っていましたが、目的地に近づくにつれて身体全体が引き寄せられる感覚が強くなってきました。それは腕から引っ張られる感じではなくまさに背中から強い力で押し出される感覚でした。目的地近くの空き地に停めた時に、何をしても検索されなかったナビの地図上にハッキリと赤い字で「間神社」と記されています。私はビックリしました。


「ここですよ」と呼びかけていただいている気がしたからです。しかしながらナビに記されている場所を歩きましたが、ちょっとした林があるだけでどこにも神社らしきものはありませんでした。近くの住宅街を歩き、どなたかに聞いてみようと思いましたが、暑い昼間の時間帯という事もあり誰一人として出会う事はありませんでした。そうして地図上の一角を時計回りに歩きました。そうして記事に出ていた大きな川のある道に出ました。それが能代川です。程なくして「平遺跡」と記された史跡塔を見つけました。何とそこは縄文時代の集落跡地だったのです。そうしてついにその跡地塔の隣に「河童の約束」と書かれた看板を見つけました。看板に書かれている記事を要約すると、ここにあった間家という家の下男が馬の尻尾にぶら下がっている河童を発見し、日頃から悪さをしているので懲らしめようとしたが、必死に謝るので許した。河童はお礼にと、魚を家の戸口に吊るすようになった。その後河童に悪戯されたり溺れる人がいなくなり間神社は水難避けの神様と呼ばれるようになった。こんな感じでした。ここが間神社だと確信しました。



しかし肝心のお社がありません。困り果てた私は元の場所に戻り近所を歩きました。しばらくして立派な神社を発見し心躍りましたがそこは「神明宮」と言う他の神社でした。私たちはそこの神様にお詣りし、間神社の神様についてお尋ねしました。帰り道に誰ひとり居なかった住宅街にご老人のお姿を発見しました。縋るような思いでお聞きしたところ、何とそのご老人は間神社についてご存知でした。お話によると神社の持ち主=間家の方が随分前に土地を処分し立ち退かれた。そこは跡地となり看板だけが建っている。との事でした。間神社の記事が書かれたのが2004年ですから、この18年の間に無くなっていた訳です。


そうして私は理解しました。なぜ神様が私をこの地に呼ばれたのか。それは間神社と言う神さまがいらした事を知って欲しかったから。そうして人の都合で無くなってしまった事実を。私の見た夢は今後水害が更に増していくと言う神様からの警告であると確信しました。

もしお社があれば寄付を差し上げて少しでも綺麗にして差し上げたいと思っておりましたが、お社自体が無くなってしまい、私は為す術がありませんでした。ここ年々日本で起きる水害が大きくなっている事に決して無関係ではないと思います。


まずは間神社の神様に今まで日本を護っていただいた感謝を心よりさせていただきました。そうして今後日本を水害からどう護るかは今後神様の御指示をお待ちする事に致します。




そこで私達は翌日地元でも有名な弥彦神社(やひこじんじゃ)に参拝致しました。そこは昨日の間神社とは違い、参拝者の参拝欲をくすぐるグッズや付加価値のある施設でかなり栄えているようでした。鳥居からして非常に格式が高く豪華そうでした。参拝している時、神さまがいらしたので、私は事の顛末を申立て、今後日本における水害からのご守護を祈念致しました。神様は何も語らずただ微笑んでいらっしゃいました。帰り道参道に雀が舞い降り、私達にしきりに話しかけました。非常に楽しげに。私はそれが神様からのお返事であると確信致しました。



世界が平和でありますように。


加藤眞由儒



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