寒川神社
- 加藤眞由儒
- 3 日前
- 読了時間: 7分
寒川神社を知ったのは昨年の夏前になります。
夕食後、事務所の長椅子で休んでいた時に「寒川神社にいらっしゃい」とふいに神様からお声がかかったのです。その時は寒川神社がどこにあるかも知らずに困惑して秘書に話すと、鳩が豆鉄砲を食らったようなびっくりした顔で「なぜ知ってるんですか」と叫びました。私のほうが訳も判らずに尋ねると、メールでお客さまから「寒川町でカフェを開いたので寒川神社にお越しの際はお寄りください」と案内が来ていてちょうど開いて読んでいたところだったそうです。
不思議に思いながら調べてみました。
【寒川神社(さむかわじんしゃ)は神奈川県高座郡寒川町宮山に鎮座する神社。相模國一之宮。式内社で旧社格は国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。関東地方における著名な神社の一つであり、年間約200万人に及ぶ参拝者が訪れる。初詣の参拝者数は神奈川県内の神社では鶴岡八幡宮に次いで2番目に多い。また日本で最も昇殿祈祷者が多い神社としても知られる。創建時期は不詳であるが極めて古いとされ、約1600年前の雄略天皇の御代には既に朝廷より幣帛の奉勅があり、延長5年(927年)の「延喜式神名帳」では相模国唯一の国幣大社として朝廷の名神祭に預かる名神大社に列格された神社である」(Wikipediaより)
神奈川県高座郡と言われてもピンとこないので、MAPで位置を確認しました。湘南茅ヶ崎から私鉄に乗り換えるようです。2県跨がなければいけないのと、夏の暑さで少し億劫になりそのうちに記憶が薄れていた頃、お客様からも「寒川神社に参拝してきました」とお話しをお聞きしたり、また秘書が川口の東沼神社(とうしょうじんじゃ)を参拝した際に神主さんから「この神社は寒川神社と同じ建築家が建てました」と言う話をしていて、この繋がりからは逃れられないと思いました。
また度々寒川神社の神様からもお呼びがかかり、暑さも和らぎ秋の気配が深まった10月末にようやく参拝させていただきました。
その日は秘書が朝トレから帰ってくるのを待って10時過ぎに出かけました。
茅ヶ崎までは昔でしたら東京駅で東海道本線に乗り換えたのですが、今はお隣の赤羽駅で上野東京ラインか湘南新宿ラインに乗り換えます。当時は車掌さんに処理してもらった乗車券も今はスマホ決済です。
上野東京ラインも2037年には川口駅に停車する予定と言われていて、しかも羽田直通だそうです。ますます便利になると共に勉強していかないと完全なガラパゴスになりそうです。
乗り換えもなく快適に茅ヶ崎に着きました。そこからは相模線に乗り換えて宮山と言う駅で降ります。手前にある寒川でないので注意です。
相模線の乗車は自動ドアではなく扉の開閉ボタンを押します。初めてなので少し戸惑いました。
平日ということもあり、乗客はまばらで空席は一つ飛びくらいしかありませんでした。気のついた方が席を詰めてくださって、私たちは並んで座ることができました。ぼんやりと車窓を眺めている時にふと目の前に人が立っているのに気づきました。
立っていると言うより、空間が歪み人の形になってきたのです。透明な波から少しずつ色と形が浮かんできて金糸の入った藍色の着物が透明に描かれています。「私もこちらに用がありますので、ご一緒させてください」と聞き覚えのある優しく、しかも意志の強い凜としたお声が聞こえてきました。以前草加神社で迎えてくださった櫛名田比売(くしなだひめ)様でした。
神界のレジェンドと言われている素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妻で稲田の女神としても知られています。
どんどん色と形がハッキリしていき、これ以上になると私がパニックになると言うギリギリのお姿でとどめていらっしゃるのが、さすが現代庶民の心をわかってらっしゃると変なところで感心しました。
現実に昔のお姫様が目の前に現れたら腰を抜かしてしまいます。秘書に話すと「神様も電車に乗るんですか」とびっくりしていたので、姫さまと一緒に笑ってしまいました。
そんなお姿なので私たちが宮山駅を出て神社に向かって歩いているとき、結構なスピードで浮かんだまま付いてこられても、特に違和感はありません。「この辺りは昔、海がすぐそばにあって川もとても綺麗でした。何もない場所ですが地形にとても特徴があります」「この先はお店がないので、そこのお蕎麦屋さんで少し休んで元気を出してから参りましょう」「八福餅と言う名物のお餅もあります」いろんな場所に行かれて知識も豊富でいらっしゃるので結構活動的な女神様なんだと感心しました。
お蕎麦屋さんで秘書が「色々とお話を聞いていると、男の神様は地震や気象に関わって国を動かしたりして、女の神様は私たちの世話をなさっているみたいですね」と言いました。考えたこともない話でしたが、一理あると思いこれから検証していく事にします。腹ごしらえをしたあと、寒川神社の鳥居までやってきました。そこは三の鳥居です。

後で地図を見て知ったのですが、三の鳥居から真っ直ぐ参道が繋がっていて、その先に神奈川県内最大のコンクリート製の二の鳥居があります。一の鳥居はどこかと言うと、実に寒川駅から線路沿いに10分ほど歩くと「寒川神社表参道」と書かれた石碑の隣に建立しています。派手ではありませんが緑の中に渋い彩りを見せています。寛政8年(1796年)建立ですが、その後地震で倒壊してしまい、昭和4年(1929年)相模鉄道より寄贈されたそうです。二の鳥居はそこから10分ほど歩きます。昭和41年(1966年)完成の鳥居は鎌倉の大仏様より高いです。参拝される時に必ず一の鳥居からでなくてはと言う方がいらっしゃいますが、一の鳥居はあとからかなり遠くに建立することが多く、「時間や体力に応じてで構いません」と女神様も仰ってくださいました。
長い参道を歩くととても立派な神門に到着します。
毎年12月20日頃から翌年2月23日頃まで「迎春ねぶた」と称して色々なテーマのねぶたが設置されるそうです。さぞかし荘厳な光景でしょう。

まずは参拝と思ったのですが、今回はご祈祷を先に済ませます。神門横の客殿でご祈祷の受付をしました。初めてなので、八方除けをお願いしました。大安、仏滅と言った六曜の日柄方位など旧暦に基づく災難を取り除ける御神徳であり、全国唯一の八方除けの守護神として知られているそうです。受付ののち、地下の待合室で待ちます。番号によっては2階に案内される時もあるそうです。その日は落雁も振舞われました。七五三が近いと言うこともあり、可愛い子どもたちが着物を着ていました。平安時代から続く日本が誇れる行事です。正式な着物を着た子どもたちは大人の仲間入りをしたような感じが少し誇らしげな表情から読み取れます。時間になると格衣と呼ばれる白い衣を着用し、本殿に案内されます。日本一の昇殿祈祷者数と言うだけあってその数は圧巻です。全員が揃うと神職によるお祓いが始まります。かなりの人数のため、若い神職の方も一緒に祈祷者全員の住所氏名を述べます。自分たちの名前が呼ばれると気が一層引き締まります。
旅行先で神社仏閣に参拝される際もきちんと住所氏名をお伝えする事が神様仏様に対するマナーです。できる限りされる事で神様との距離も近くなるはずです。その後、玉串拝礼をしてから神札とお守りなどを受け取り終了です。清々しい気持ちになりますが、ご祈祷の効果は徐々に現れてくるはずです。
その後はご祈祷者のみが入場を許される「神獄山神苑(かんたけやましんえん)」に伺いました。私のチケットには入苑期間が3月上旬から12月13日と記載されていました。時期につきましては直接お問い合わせいただくことをお勧めします。

こんもりとした小山に鳥居が建立されていました。
拝見した瞬間そのパワーに圧倒されました。私の見立てでは10年ほど前に噴火した御嶽山と繋がっています。

その麓に「難波の小池」(なんばのこいけ)と呼ばれる撮影禁止の泉があります。こんな小さい素朴な泉がどうして、と思いました。「ここは天津神国津神あらゆる神様が集う緩衝地点となっています。神様の寄り合い所ですね」と櫛名田比売様が仰いました。私の事務所の和室にも天照大神様と大国主命様がご一緒に顕現されています。「国譲り」と言う神事から、天津神派と国津神派は対立していると思われがちですが、実はそんな事はなく、共に力を合わせて国を護っていらっしゃるのです。よく見るとその池には青い小さな龍神が何体も泳いでいらっしゃいました。奥に進むと更に大きな池があり、その奥に半分以上水上に浮いているような趣のある平屋の茶室があります。

「この池は先ほどの泉と気の流れが同じです。池の前に椅子がありますから、そこに座って気を貰いましょう」と女神様に仰っていただきました。お祓いで身体の汚れを取っていただくと共に、色々な神様が集結して日本を守ってくださっているお姿に感激しました。
私たちも参拝させていただく際はきちんと自己紹介をして、国を守ってくださる神様に感謝を忘れないようにしていきましょう。
世界が平和でありますように。



