三十四観音午歳総御開帳
- 加藤眞由儒
- 1 日前
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立春明けに秩父水潜寺に参拝させていただいた時に、今年は12年に一度である秩父34観音ご開帳であることを知りました。
ご本尊である観音様が公開されるだけでなく、お手綱(おてづな)参拝と言って、本堂前の祈願塔(きがんとう-病気平癒や家内安全、世界平和などの願いごとを込めて寺院や境内に建てられる仏塔のこと)と観音様が綱で結ばれ、その綱に触れることで観音様と直接つながり、深いご縁を結ぶことができます。
観音様の眷属(けんぞく-血の繋がった身内、または主君に従う家来や配下のこと)が馬であることに因み、江戸時代から続く伝統として大切に受け継がれています。
今年は3月18日から11月30日まで開催されています。
また、スタンプラリーなどの催しもあり、普段回ることのない寺院にも足を運ぶきっかけになるのではないでしょうか。
7月の勉強会のタイトルが「魂を光り輝かせる」で、また7月のブログが、空滝不動尊の光に関することでしたので、関連がある今のうちに伺おうと思い、勉強会が終わるのを待ってお邪魔しました。梅雨も明けた関東では猛暑が続き、関西では新たに制定された『酷暑日』にあたる40℃を記録しました。
さすがの暑さに関越道の交通量も少なく、皆野寄居の有料道路もすんなりと通れました。
「午年御開帳」と銘打ってのイベントだけあってどこのサイトでも大々的に取り上げていますが、西武鉄道のWEBサイトを覗いてみました。
【秩父札所は、埼玉県秩父地域にある34ヵ所の観音霊場。札所巡りとは、観音様を御本尊にお祀りするお寺を一つひとつ訪ね、祈りを重ねていく巡礼文化です。起源は文暦元年(1234年)にさかのぼり、江戸時代には関所を越えずに参れる身近な祈りの場として、庶民の信仰を集めてきました。全行程は約100km。秩父の自然や街並みを堪能しながら、徒歩や自転車などで参拝・巡礼できます。
午年の今年は、12年に一度の「午歳総開帳」となる特別な年。秩父34ヵ所の札所で御本尊が一斉に公開され、普段は見ることのできない観音様に手を合わせ、深いご縁とご利益をいただける貴重な機会です。34ヵ所で同時に行われることから「総開帳」と呼ばれ、江戸時代から続く伝統行事として大切に受け継がれてきました。
午歳総開帳の魅力は、御本尊を“拝める”だけでなく、“より深くご縁を結べる”体験ができること。各寺院で行われるお手綱(おてづな)参拝では、本堂前に建つ祈願塔(きがんとう)と観音様が綱で結ばれ、そのお手綱に触れて拝むことで、観音様と直接つながり、深いご縁を結べるといわれます。総開帳の時期だけの記念御朱印も、巡礼の思い出にぜひ】
(以上西武鉄道WEBサイトより)
まずは一番目の札所である「四萬部寺」(しまぶじ)に向かいました。一昨年のブログで述べたように梵字が現れる不思議な体験をしたお寺です。向かう途中から頭が締め付けられるような感覚がして、やはり四萬部寺はひと味違う印象でした。駐車場に着くと平日は閑散としていますが、御開帳とあって参拝客がいつもより多い印象でした。明治に焼失した仁王門の代わりに、昭和になって近隣民家から移設された総門は相変わらず荘厳で、江戸時代創業の古民家風門前宿の旅籠一番と共に周囲の雰囲気を歴史ある佇まいに変えています。
総門の左端に「令和八年午歳総開帳」と記した立て札があります。山門を潜ると正面に懐かしい観音堂があります。生い茂った緑の木々はまるで波動のようにこちらに迫ってきます。観音様のパワーと相まって後退りするほどの勢いでした。以前と違うところは、塔婆のように建っている祈願塔から3本の綱が伸びていてそれがひとつにまとまって観音堂までケーブルのように垂れていることです。これが前もって聞いていたお手綱かと胸が熱くなりました。

手にした瞬間全身に電気が流れたような衝撃が走りました。「よくぞこの時期に来てくれました。あの文字は私とみなさまが繋がっているという意味です」綱を通じて観音様と繋がることができました。ここで初めて観音様のご尊顔を拝見させていただきました。オレンジに金の縁取りが施された扉が今日は開いていて、江戸時代作の金箔押しされた観世音菩薩様の立像がお姿を現していらっしゃいます。ご尊顔は人々の苦しみを見逃さずあらゆる方法で救おうとする深い慈悲の心が現れていました。また十一面観音などからわかるように、善行を行う者には喜び励ますように見え、悪人には叱咤激励する恐ろしいお顔に見えるそうです。今日はとても親しみのあるお優しいお顔をなさっております。今までや、これからの現世について色々とお聞きし、暫くは観音様との水入らずの時間を過ごさせていただきました。
そして二番目の札所真福寺に向かおうと駐車場で車のドアを開けた時、秘書が「あ、スタンプラリーがありますよ。せっかくだからやりましょう」と言ってきました。「納経堂のところにQRコードがあるようです」できるなら車に戻る前に言ってほしかった、と言う言葉を飲み込んで、今来た道ではなく後ろの駐車場近くの道から観音堂を横切ろうとした時、観音堂と私の間にサーッと霧がモヤのように吹き出してきました。突然のことに驚いていると、また観音様が優しく教えてくださいました。「これはあの世とこの世の境です。どちらからも見渡せる磨りガラスのようになっています」 御開帳の時期は観音様と繋がることができる滅多にない貴重な機会です。
また8月24日には「大施食会-だいせじきえ」が行われました。【施食会とは、ご先祖さまへの感謝を伝えるとともに、あらゆる霊(全ての命)にご供養し、その功徳をご先祖さまや自分自身、そして広く世界に回向(えこう-回らし向ける)する大切な法要です】(四萬部寺HPより)
今回は仕事のため参加できませんでしたが、いずれは必ず参加しようと心に刻みました。ちなみに関東三大施食(施餓鬼とも書きます)は杉戸町の永福寺(どじょう施餓鬼)、さいたま市浦和区の玉蔵院(大施餓鬼)、そして500年続くと言われている四萬部寺の川施餓鬼です。
「明日時間ありますか?四萬部寺と玉蔵院は日程的に無理ですが、杉戸町永福寺なら明日の休みに施餓会に参加できますよ」前夜唐突に秘書に言われて驚きました。実は私の菩提寺が当時浦和の玉蔵院で、幼少の頃からお盆の最後に祖母に連れられて塔婆をお墓に立てたのでした。お墓と言うだけで尻込みしてしまいますが、お盆の時期には本当にたくさんの霊が見えるのです。今年玉蔵院墓地に墓参りした時も亡くなった父や祖母たちが総出で出迎えてくれました。神社と言う場所が神様と私たちが会うように、お盆の時期だけご先祖様がお墓に現れるのです。他の家の霊やそもそも玉蔵院自体に夥しい霊が集まり嫌々行事に参加したものの、本当に憂鬱な時期でした。「え、なんでですか。年に一回しかありませんよ。思いついて明日って、こんな機会もうないですよ」秘書にひとつ霊的能力があるとしたら、物事の進むタイミングがいつも良すぎると言うことです。10年程前、何も考えずに広島旅行した時、奇しくもその日が原爆投下日で、原爆ドームに見学に行った秘書の肩に大勢の原爆で亡くなった方が乗っかり、そのまま船で厳島神社まで行ったのです。
亡くなってからもなお厳島神社に行きたかった霊たちは大喜びでとても感謝していました。
得意気に動画を送ってきた秘書に驚きましたが、この時ばかりはたくさんの兵士を引き連れたナポレオンのように勇ましく、はじめてカッコいいと思ったのでした。7年前にノートルダム寺院に行ったあとすぐに火災があり、10年程前正月に大阪に行ってすぐに阪神淡路大震災が、今年は熊本に行ったあとすぐに地震がありました。話は逸れましたが、提案を断る私にムッとした秘書は「じゃ、1人で行ってきますよ。近くに向日葵畑もあり、ちょうど見頃なんですよ」とウキウキして言いました。「霊がたくさん居るよ。霊障に遭うかも」と止めましたが「自分は鈍感だし、霊なんて逆に脅かしてやりますよ」ときたので何も言えませんでした。
当日は、途中大雨に遭ったようですが、何とか受付が終わる5時の40分前に着き、私への嫌がらせで閻魔堂の閻魔様をこれでもかと拡大して送ってきたり、雨で萎れた向日葵の中で得意気に自撮りしたり、果てはゆっくり温泉に浸かり、帰りがてらたまたま近くの学校で花火大会があったのを壁に攀じ登りこれでもかと言う至近距離で送ってきました。
私は呆れて笑うしかありませんでした。こんな性格なら悪霊だって尻を捲って逃げ出します。
今回の勉強会で「魂を光り輝かせるには笑って楽しく過ごす」とお話ししましたが、案外秘書のような性格の方が光輝くのかもしれません。
秘書の話では、まだ終了の1時間近く前なのに出店は片付け終わっていて、名物のどじょう流しも終わり、参拝客は2、3人しか居ませんでした。本堂では何とアーティストを呼んでコンサートを行い、別棟はコンサート会場になっていました。その話を聞き私は驚きました。玉蔵院の施食会はとても人が多く特にご老人が皆暑い中、塔婆を持って墓に運んでいます。最近のお寺のイベントの寂しさに、この先のお寺の行方を慮ってしまいます。私もテレビで若者の神社の獲得にお寺でコンサートをしたり、果てはディスコやバーなど、様々な工夫をしていますが、根本の人々の意識を変えないと立ち行かなくなってくるのではないでしょうか。あとで述べますが、札所のお寺の絵巻には一心不乱に祈る庶民の姿が描かれています。
とてもお酒を飲んで癒される場には相応しくないような気がします。
ここ何年も感じていた思いで長くなりましたが
話を戻します。
午歳総開帳開運スタンプラリーの一つ目にとても美しい梅の花と観音堂を模したスタンプが押されて、次の札所二番真福寺に向かいました。長享年間(1487年〜1489年)の水害で秩父三十三ヶ所から外されたそうです。ですから長享二年(1488年)の番付には真福寺は入っていませんでした。その後西国、坂東、秩父で合計100か寺とする際に加えられたそうです。向かう道は途中から獣道のように細くなり、本当にこんな山奥にお寺があるのかと不安になる頃、ようやく広い敷地に着きました。石段を登ると観音堂がぽつんと建っています。江戸時代初期には本堂、仁王門、羅漢堂などを備えた大寺院でしたが、万延元年(1860年)に焼失し、現在の観音堂は明治41年(1908年)に再建されたそうです。「唐破風-からはふ」と呼ばれる釣鐘のように美しい庇です。またその下には見事な龍の彫刻があり目を奪われましたが、更に気になるのが「千社札-せんじゃふだ」と呼ばれる名前を書いたシールのような紙です。【千社札-せんじゃふだとは神社や仏閣に参拝を行った記念として張るもので、自分の名前や住所を書き込んだお札のことである。おさめふだ、納札(のうさつ)とも言う。千社札は紙で作られることが多いが、木製や金属製の物も存在する。江戸中期以降に流行しており、次第に手書きから木版製に移行し、浮世絵の技法や意匠を取り入れるなど豪華なものが作られるようになった。近年ではシール状の物が多く、ゲームセンター等に設置されている】(Wikipediaより)
以前建物にシールが貼ってあって建物が傷むと四萬部寺のブログで書きましたが、そんな歴史的背景もあったのですね。ただ近年はやはりマナーの観点から御朱印集めに人気が移行してきたようです。建物の天井にシールを貼る参拝者は見たこともないですし、もし見たら驚いて注意すると思います。またそんな千社札の文化がゲームセンターなどで若者にも受け継がれていることに感慨深い思いがします。建物の中には「さるぼぼ」と呼ばれる縁起物の布製の猿の人形がたくさん吊るされています。驚くほどの数があり圧倒されてしまいます。そこでまた観音様と心を寄せることができました。

ここは無人のお寺なので、御朱印は麓にある光明寺でいただきました。石段の両側には大きな蓮の鉢と「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」の仁王像が荘厳な雰囲気を醸し出しています。
それから龍の彫刻が見事な観音堂、札所三番常泉寺、石仏の寺と呼ばれる立派な仁王門の札所四番金昌寺、平地に仁王門と観音堂がぽつんと佇む札所五番語歌堂、それからは狭い山道を登り六番ト雲寺、七番法長寺、八番西善寺まで参拝させていただきました。

急ぎ足になりましたが、何とか順番にご挨拶ができてよかったです。
それぞれのお寺一つひとつに素晴らしい謂れやエピソードがあります。一つひとつを取り上げていると三十四札所午歳御開帳の趣旨がぼやけてしまいますので駆け足でご紹介しましたが、お時間のある時には、ぜひじっくりと参拝なさってください。また各お寺の壁には札所絵巻と言われる開山のエピソードなどを示した素晴らしい絵が飾られています。四萬部寺では開山した幻通が霊鳥のお告げで四万部の経典を読誦し供養した絵巻が、二番の真福寺ではお坊様に角の生えたお婆さんが花を渡している絵があります。
三番の常泉寺では、観世音菩薩が行基の彫刻で長命水、子持石、不睡石の伝説を描いています。その絵巻を見るだけでも訪れる価値があります。

由緒書きや絵巻を通して、私たちの祖先が自分の生き方を悔い改め、一心不乱に仏様に縋り祈る姿が記されています。またそのような歴史やご本尊様に触れることで、現代に生きる私たちも魂に刻まれた記憶が呼び覚まされ、神仏と共に生きる心構えがより深まるのではないでしょうか。
世界が平和でありますように。



