今宮神社
- 加藤眞由儒
- 9月1日
- 読了時間: 6分
更新日:9月1日
昨日は美の山にある善女龍王•雷電神社に参拝させていただき、地下水から放出される強力なエネルギーが山全体を包み込むのを感じました。その後聖神社に参拝させていただきましたが、盛況ぶりに驚きました。いつも平日にお邪魔していたからかも知れませんが、駐車場には誘導の方がいらっしゃり、目の前には食べ物屋さんも出店していました。
いつもは拝殿の隅で授与していたお守りも別棟の社務所ができています。
やはり「銭神様」と呼ばれる聖神社の金運パワーが循環して、いい気の流れを作っているのだと感じました。
その後、和銅鉱泉の宿で秘書の誕生日を祝いました。変わらぬ泉質の良さと、時代と共に簡素化されてはいきますが、いき過ぎないサービスと距離感がいつお邪魔しても心地良い宿です。少しずつリニューアルされていき、お部屋も食事処も心地良い空間で、まさに癒しの旅となりました。
翌日、宿のご厚意で遅めにチェックアウトしたあと、秩父味噌を買いに町に行きがてら、龍神様を祀っている「今宮神社」に参拝させていただきました。いつも参拝させていただいている秩父神社からほんのわずかの距離で、なぜ今まで気づかなかったのだろうかと思ったほどです。
【秩父今宮神社(ちちぶいまみやじんじゃ)は埼玉県秩父市の中心部にある神社である。今宮神社、八大龍王宮(はちだいりゅうおうぐう)とも称される。旧社格は村社】(Wikipediaより)
八大龍王宮と言えば、昨日参拝させていただいた善女龍王神社•雷電神社のご神祭は八大龍王宮のひとり沙掲羅(しゃがらりゅうおう)の三女でしたから、非常に関係が深い神社です。
駐車場に車を停めて参拝させていただいたのですが、入り口に鳥居はなく「今宮神社」と「大宮山八大龍王宮」と言う2つの社標の間にしめ縄が張られていました。

入って感じたのは、まるで神社の姿を借りたお寺のようだと言う事です。まずは入り口左に「龍上観音様」の像が龍神池の御神木に鎮座しています。

これだけでも寺院の様相を呈しています。
稲荷社の隣には弁天社があります。
かつては世田谷蛇窪神社と同じで広島厳島神社の市寸島賣命(いちきしまひめのみこと)を祀っていましたが、平成12年に日本三大弁財天として知られる江島神社から改めて弁財天の御分霊を勧請し、新たな神祠を建立して合祀したそうです。

参拝させていただいた時に、「今日は参拝にいらしてくださってありがとうございます。この池の水は武甲山などから滲み出た地下水が長い年月をかけてこの地にやってきたものです。とても清まっていますので綺麗な気をたくさん浴びてくださいね」と蛇窪神社でお会いした時と同じ優しい後光の中お伝えいただきました。
境内のほぼ中央にあるのが昭和19年(1944年)埼玉県、から天然記念物に指定された大きな欅の古木です。ここに祀られている八大龍王神の住み処として信仰を集めていて「龍神木」と呼ばれています。木の周りには「八大龍王神」の赤い登りが張り巡らされていて中央に赤い鳥居が建っています。

立て看板にはこう記されています。「生きとし生けるもののおおもと、(生命の源泉)それが水です。水は雲になり、雲が形を変えたものが龍といわれ、世界各地で最初に祀られたのが龍神(水の神=ナーガ)であるといわれます。秩父においては、大宝年間(701-704)に、役行者(えんのぎょうじゃ)によって当所に龍神(八大龍王)が祀られました」
役行者とは7-8世紀に奈良を中心として活動していたと思われる修験道の開祖とされている人物です。
雲が龍神に姿を変えたと言う考えがとても興味を引きます。

奥には柱や屋根を赤色で統一した社殿がやはり赤い鳥居から覗いています。平成31年に完成した比較的新しい社殿です。そして旧本殿を何と聖神社の社殿として移築したそうです。なんと言う巡り合わせでしょうか。ご祭神は元々は伊邪那岐命と伊邪那美命でしたが、役行者が八大龍王を合祀。その後、疫病退散を願って京都の今宮神社から須佐之男命を勧請したそうです。
江戸時代にはたくさんの神社と寺院を配下に治め、「今宮坊」として神仏習合の一大霊場となっていました。明治時代の神仏分離令により「今宮神社」と「今宮観音堂」に分離されてしまいました。
【神仏分離(しんぶつぶんり)】は神仏集合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別させる事。
明治初期、政府は「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国強化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合を禁止するため、神仏分離令又は神仏判然例と総称される一連の通達を発した。神社と寺院を分離してそれぞれ独立させ、神社に奉仕していた僧侶には還俗命じたほか、神道の神に仏具を備えることや、「御神体」を仏像とする事も禁じた。
神仏分離令は「仏教排斥」を意図したものではなかったが、これをきっかけに「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)-仏教を廃すること」運動が起こり、各地の寺院や仏具の破壊が行われた。(Wikipediaより)
なんと言う恐ろしい事でしょうか。インドや中国でも廃仏は行われてきましたが、我が国にもそんな歴史があったのです。
これにより寺院、仏像仏具など多くの文化財が破壊されました。特に薩摩藩(現在の鹿児島県)や水戸藩(現在の茨城県)ではほとんどの寺院が破壊されました。その中には国宝や重要文化財に指定されていたものもあり、その被害は計り知れません。薩摩藩は寺院から徴収した金属で大砲などの武器を作ったとされています。
この政策は神道を国家神道として位置付け、仏教を排除しようとする試みでした。しかし実際には社寺の経済的地盤が弱体化し、寺院や神社が衰退するきっかけとなりました。そしてわずか数年で頓挫してしまいました。
ところが、これにより神仏習合が一般的であった日本の宗教に、日本人が持つ宗教の柔軟な捉え方が広まったと言われています。現在では初詣に神社に行き、お葬式は仏式で行うなど、それぞれの利点を享受し、かと言って宗教から離れるわけではなく、書物や漫画、アニメに至るまで独自の視点で作られた物語が数多く輩出されています。
これについては面白いエピソードがあり、事務所にいらっしゃる霊能者の方が和室にお出ましになる神様を毎回観察されていて、「天照大神さまは、今日は観音様に化身されていらっしゃいます」と仰いました。私たち日本人が自由に神様仏様と接するように、神様も仏様も柔軟に私たちを守護してくださいます。

現在は札所14番「長岳山 今宮坊」となった寺院もすぐ近くにあり、参拝させていただきました。とても品の良い観音堂と勢至菩薩を祀る勢至堂。そして右手には樹齢500年の欅と太子像がありました。
今宮神社は昔の神仏習合の色合いが濃い神社です。これぞまさに全てのものに神が宿るとしてきた日本人の気質を受け継いできたものではないでしょうか。
世界が平和でありますように。




