10月の最終日、私は日本三大霊場の一つ恐山に行ってきました。かの慈覚大師円仁が夢のお告げに従い諸国を行脚し、辿り着いた地であると言われています。

私が今まで恐山への訪問を躊躇してしていたのは、やはり霊障により身体に何らかの影響が起きては大変との危惧からでした。実際某有名美術館に行った時は、あまりに多量の霊が澱んでいて、恐ろしさのあまり一歩も立ち入る事ができませんでした。
別の霊場を訪れた時も心臓が苦しくなり歩けなくなる程でした。しかしやはり一度は入山して自分の身体で確かめてみようと思い立ったのです。
恐山の開山は5/1から10/31までです。私たちは最終日に訪れました。それでもいくつもあるルートのほとんどが通行止めとなっており、唯一通行可能となっていたむつ市からの入山となりました。山は紅葉の真っ盛り。赤青黄色のグラデーションで彩られた木々のカーテンをくぐり、日光いろは坂級の坂道を進んでいきました。強烈な硫黄の匂いと共にたどり着いたのが極楽浜と呼ばれている宇曽利山湖でした。鏡のように美しく反射した景色は霊場と呼ばれるような恐ろしさは微塵も感じず、ただ秋の絶景を水面に湛えていました。

そこから三途の川を渡る太鼓橋を通り過ぎ、程なくして恐山の駐車場に着きました。やはりおどろおどろした雰囲気はなくとても見晴らしのいい観光地という雰囲気でした。今まで訪れていた神社仏閣等とは異なり、頭に鉢巻をしたような感覚になりじんわりと通電していると感じました。恐らく額にある私の霊が魂と交信をし始めたのではないでしょうか。
私がこの場に恐ろしさを感じなかったのは、やはり全ての霊が成仏し浄化されていたからだと思います。
そして魂との交信によってご先祖さまの霊とも対面できるのだと思います。それをわかりやすく伝えていただいているのが有名な恐山のイタコさんなのでしょう。そうして考えると恐山にある無限地獄や血の池地獄といった恐ろしい地獄も本当にそこに在るのではなく、来訪者に正しく生きる指標を与え尚且つ楽しんでいただけるようと言う寺務所の計らいに他ならないのではないでしょうか。
恐山はあの世とこの世を繋ぐ場です。
人は亡くなると霊は肉体から抜け出て霊の世界に旅立つのですが、霊山、霊場を通って登っていきます。日本には恐山の他にも霊場、霊山と呼ばれる場所が点在しています。富士山もその一つです。そこでは今まで肉体を持って過ごしてきた人々が霊体として過ごすための準備をします。そうしてみると、恐山の入り口近くに建っている奪衣婆の像は、三途の川で死者の服を剥ぎ取ると言われていますが、何だか本当に居そうな気がしてきますね。
霊場恐山は名前とは裏腹にとても優しく今日も私たちを導いています。
世界が平和でありますように。