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慈眼寺

西武秩父駅併設の祭りの湯に初めて訪れたのは今年の5月、天空のポピーを見た帰りでした。

温泉の駐車場より料金が安い場所をネットで調べて少し離れた所に車を停めました。

駐車場から温泉に向かう途中にとても綺麗に手入れされたお寺を見つけました。

「慈眼寺」(じげんじ)と書かれておりました。

手入れされた建物には人の思いが染み込んでいるのが私にはわかります。建物が喜んでいるのです。

生きているかのようです。

その日は温泉の時間が押していたので諦めましたが、翌週美の山公園に寄った帰りに私たちは慈眼寺に参拝させていただきました。

その後私の老眼の調子がとても良くなり、お礼のため聖神社に参拝した帰りに再度ご挨拶に伺いました。


慈眼寺は秩父鉄道御花畑駅から徒歩1分、西武鉄道西武秩父駅から徒歩5分と駅からいちばん近いお寺です。慈眼寺の山門はさほど大きくはありませんがとても美しい造りです。黒色の屋根に白い切口の柱(垂木)がこちらを向いてドットのような見た目になっています。調べましたところ医薬門と呼ばれる切妻造り(本を伏せたような形)の黒門だそうです。医院の門扉に使用されていたと言われています。

この門が閉まるのは12月3日、秩父夜祭の短い間だけだそうです。そう言えば温泉の帰り道、暗がりの中でも門が開いておりました。



本堂の向拝(こうはい•社寺の正面に庇をつけて参拝客を迎えるところ)の彫刻が見事で、「玉巵弾琴(ぎょくしだんきん)」中国の神話上の女神の娘が琴を弾き白龍に乗っている様子が描かれています。

「大悲閣(だいひかく)」の扁額が掲げられています。これは「観世音菩薩」の像を安置しているという意味で実際に菩薩さまが安置されているそうです。

この本堂は1901年に再建されたそうです。

その昔日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際にこの地に旗を立てたことから「旗の下」の地名が生まれ、山号(さんごう)も「旗下山(きかざん)」と名付けられたそうです。山号とは仏教の寺院に付ける称号で、所在する山の名前や、仏教用語からつける場合が多いそうです。

また慈眼寺は「目のお寺」としても知られており、薬師堂には「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」が祀られております。薬師瑠璃光如来は薬師如来と略される事もあり、病気を治す功徳のある仏さまと言われております。

実は前回参拝させていただいた後、数日後に私の目の中にキラキラと光る結晶のようなものが浮かんで、ビックリしたのですが、その後眼科を受診した時に「視力が回復している」と主治医に言われました。これは慈眼寺参拝のお力だと感じたのです。もちろん主治医の適切な処置があってこその成果ですので明記させていただきます。

なので今回はお礼を兼ねて参拝させていただきました。しかも前回は薬師堂である「瑠璃殿」には参拝せずに帰ってしまったので今回が初参拝になるわけです。

「瑠璃殿」と呼ばれる薬師堂は本堂の左手納経所のさらに奥に砂利が敷き詰められた広場の中、長い石道の先にあります。

砂利の広場は幼稚園のお庭になっています。

調べましたところ大正14年、当時の慈眼寺の住職が境内で始めた幼稚園でその後「秩父子ども園」と名を変え平成30年に現在の地に移転してきたそうです。昔は寺子屋と言ってお寺さんが近所のお子さんを集めて基本的な読み書きから礼儀や掃除など一般常識を教えていて地域に根ざしておりました。お寺さん運営の幼稚園にお世話になったお子さまは数多くいらっしゃいます。私の秘書も北海道でお世話になったと聞いています。中々できる社会貢献ではありませんのでとても感心し感謝させていただきました。

瑠璃殿の薬師如来にご挨拶させていただいた時、ただ静寂の中、次第に心が落ち着いていきました。

賽銭箱の横では「星に願いを」と銘打った白い石を求めることができます。

石にサインペンで願い事を書いて下の箱に並べて置くと、後に住職さまが祈願を執り行い安置してくださるそうです。ここでもPayPayが使用できて便利だと思いました。

山門の登り旗にも「め」の文字が裏表で記されておりました。




本堂の前には「目薬の木」が植えられています。

納経所ではこの木の成分で作られたお茶「眼茶」や飴「薬師あめ」が販売されています。

特に飴は毎年7月8日には「あめ薬師」の縁日があり、眼病にご利益があるとされる「ぶっかき飴」の屋台が並ぶそうです。

コンパクトなお寺ですが、他にも「地蔵堂」「経蔵」「鐘撞堂」などが並んでいます。

参拝させていただいて感じたのは、お寺は神社と違い荒々しいところが全くない事です。

神さまは元々自然神がルーツのため、時には暴風雨のようなエネルギーの猛りを感じます。

しかしお寺は静寂の中に深い慈しみと悲しみが伝わってきます。お寺が葬式やお墓、人の死に関連した行事を執り行う事も関係しているからでしょうか。

また慈眼寺で感じた事は前述した通り境内の行き届いた手入れです。僧侶さまの生活は詳しくはありませんが、ネットなどで調べると早朝の掃除と言うのがかなりウエイトを占めている気がしました。

木の枝一本一本にまで気が入っているのです。神社とはまた違った清まりを感じました。


参拝後に納経所で御朱印やお守りをいただいたのですが、対応していただいたのが若いお坊さまで、その空気感が昔と違いとても親しみやすくなっていました。一般の人に対する垣根を感じませんでした。御朱印やお守りまでPayPayが使えるようになっていたのも斬新でした。街中のお寺と言うことでふらりと立ち寄る人も多く、生活の中でごく自然に仏教やお寺と関わっていけることがとてもいいことだと感心しました。




慈眼寺は曹洞宗でご本尊は聖観世音菩薩さまです。

なので達磨さまの教えを道元さまが広められたのでしょうか。あまり詳しくはないのですが、そんな知識のない私たちにも門戸を広げて受け入れてくださる慈眼寺に心から感謝させていただいたひと時でした。

また神社と仏閣では受け取るパワーもまるで違います。神社はまるで身体ごと神さまの手で揺さぶられているように外からパワーを注ぎ込まれている感覚ですが、お寺では心の奥から落ち着いていき、身体の隅々までしんと静まっていくのです。

どちらも凄く大切なので神社も仏閣もバランス良く参拝させていただきたいと思いました。

お寺はご自身の宗派を考えたりすると、宗派の違うお寺には参拝するにも躊躇してしまうかも知れませんが、浄土宗の開祖である法然上人が「一百四十五箇条問答」の中で、念仏行者が神社仏閣にお参りする事は差し支えないし、神社で念仏を唱えても構わないと大らかなお答えをされています。諸事情は気にせずにと万人に門戸を開かれた先人教祖さまの意を汲んで私ももっと気軽に参拝してみたいと思いました。


世界が平和でありますように。


#加藤眞由儒

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