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宮古島

加藤眞由儒

更新日:2月6日

一昨年の秋に西表島に伺った際、台湾寄りの海から強力なパワーを感じたためその後、周辺の島々について検証してみました。今回はまだ訪れたことのない宮古島に去年10月に初上陸したのでご報告したいと思います。

以前伺った西表島は石垣島からフェリーで乗り継ぎましたが、宮古島は羽田から直行便が出ているのでとても便利でした。

出発当日の朝は雨が降ったり止んだり、天気図を見ると低気圧を伴う前線が2つ日本列島を挟んでおり、さらにフィリピン沖で発生した大型の台風21号がゆっくりと北上していました。

現地の天気はぐずついていましたが、気温はまだ高く、「霜月」と呼ばれる11月が目前にあるとは思えない暖かさです。

宮古島空港は意外と大きく、赤い瓦が南国を思わせる建物です。毎年秋口に北方から飛来してくる「さしば」というタカの仲間の猛禽類が翼を広げて降り立つ姿をイメージしているそうです。

南国の植物も相まって、異国情緒が高まってきます。

利用したレンタカー屋さんは、とてもこじんまりとしており、手続きもアバウトな感じで、いかにも南国といったイメージです。

宮古島の周りにはたくさんの離島があり、フェリーや橋で渡れるようになっています。

私たちが宿泊するホテルも橋を渡り、細い農道をかき分けて進みます。

とても小さな島で、展望台から島のすべてが見渡せます。

しかし、ホテルの敷地はものすごく広く、カートで部屋まで送っていただきました。

ロビーからも部屋からも紺碧の海が見渡せる素晴らしいロケーションです。

部屋の作りや海の色、レストランなど、雰囲気全てが南国のリゾートといった感じで心が癒されました。



秘書から「明日は日本最南端の神社と言われている宮古神社に参拝に伺いましょう」と言われましたので天気が気になりましたが参拝を楽しみにしていたため心は晴れていました。

翌日は台風の接近に伴い曇り空で強い風が吹き、時折雨が降ったり止んだりの空模様です。

宮古神社の近くには一般の人が出入り可能な「漲水御嶽」(はりみずうたき)や「祥雲寺」(しょううんじ)もあるそうです。スケジュールはすべて秘書に任せて、私は神様にアクセスすべく朝から心を研ぎ澄ませていました。いつもと違う心臓の鼓動が熱を帯びながら耳元で脈打っています。私の心臓が神界に直接繋がっているのを感じました。

私たちが宿泊している来間島から橋を渡り宮古島本島に向かう途中、来間島の畑の中に古い壁を見つけました。そこからものすごいパワーが発せられています。さらにその先の路地から朝方から感じていた鼓動の源を見つけました。秘書によると、ここは御嶽(うたき)と呼ばれる聖域と言うことでした。

「【御嶽】(うたき)-琉球神道における祭祀などを行う施設である。御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また先祖神を祀る場でもある。地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として多くの信仰を集めている。琉球神道では神に仕えるのは女性とされているため、王国時代は完全に男子禁制だった。現在でも多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない」

(Wikipediaより)

しかし、路地の向こうの建物の奥からはっきりと「こちらに来なさい」と呼ばれました。

車を停めて近寄ってみると、道の奥に扉だけを有したコンクリートの建物があり、その扉は開いており、奥に祠のようなものが見えます。



道の前には立て看板があり「来間島の神々と御嶽」と題名が書いてありました。

「来間島には現在二十一か所の拝所がありすべて集落内と近郊にある。中でも最も霊験あらたかな御嶽としてここ、アガイヌウタキ(東の御嶽)男神テンガナスとイルヌウタキ(西の御嶽)女神タカガンがまつられており、ミュウトウ神(夫婦神)と伝承されている。両御嶽は諸々の願い事を聞き届けてくれる来間島の守護神として祭祀の中心となっており、リツカサウマ、ユーザスウマ、ともうま(女性)達が年5回のこもり願い(3日2晩の泊まり込み)を執り行い人々の健康と子孫繁栄及び豊作を祈願します」と書かれていました。やはりここは島でも最大の聖域になっているようです。

「入ってきていいですよ」と言われましたが、やはり畏れ多いので入り口でご挨拶しました。

「よくここまできてくれました。ここには誰も立ち入らせないのではなく、私の声をほとんどの者が聞こえないので、特別な能力を持つ女性達がお世話をしてくれているのです。この場所だけが神聖なのではなくこの島にある砂一粒、草一本すべてが神の物です。住んでいるだけでなく訪れる者もすべてが感謝をして大切に扱い過ごすように」「私たちの願いは子孫繁栄と五穀豊穣です。時代が変わってもここに住む島民すべてが幸せに暮らし子宝に恵まれるように影ながら力を送っています」

あとは宇宙のこと、神様のこと色々と教えていただきました。年齢を重ねて人生経験を積むことで神様は私にお話しする気になられたのかとふと思いました。

昔、秘書の母親が「あの子はいつまで経っても子どもだから、話してもしょうがないので加藤さん、話を聞いてちょうだい」と言っていたのを思い出しました。歳をとるのも悪いことばかりではないようです。

その後、御嶽の神様から一度ご挨拶をしてからは、事あるごとに色々と教えていただけるようになりました。

やはり私の母方の先祖が沖縄地方の血を引いているからかも知れません。

その後、橋を通って宮古島本土に渡り、「宮古神社」や「漲水御嶽」、「祥雲寺」に参拝させていただきました。漲水御嶽は宮古島で唯一、一般の方が参拝できる御嶽です。たくさんの方が訪れているので、パワーが薄れているかと言うとそのような事はなく、他の御嶽と同じように宮古島の繁栄と豊穣を願っています。

宮古神社は日本最南端の神社と言われるだけあってとても風格があり、屋根には沖縄らしい色鮮やかな琉球赤瓦が使用されています。



翌日は「来間ガー」という島の北崖下の海岸近くにある井戸の跡地に行ってみました。ガーとは井戸の事です。島唯一の井戸であり、宮古島から海底送水される昭和50年まで住民の命綱です。

私たちは来間漁港に車を停めて10分ほど歩きましたが、当時は50m程の断崖絶壁に張り付くように続く手摺もない石段を何往復もして集落の水瓶をいっぱいにしたそうです。しかもそれは女子の仕事であり、小学生も高学年になると学校から帰るとまず水瓶を汲む作業が待っていたそうです。当時の子どもたちの苦労を考えると目頭が熱くなりました。

鬱蒼とした南国の植物が垂れ下がるトンネルの小道を抜けると、ブワッと当時の人々が見えます。

飲み水を汲んで運ぶもの、身体を洗うもの、洗濯をするもの、当時の暮らしぶりと凄く陽気で楽しい雰囲気が伝わってきました。ここは一種の社交場であり、大人が子どもに人生を教える教壇でもありました。井戸は3つあり、岸壁に近い1番ガーは飲用水として汲み上げ、2番ガーは洗濯用、3番ガーは家畜を洗うのに使用されてきたそうです。つい最近まで続いていたこの光景は苦労ながらも島の人たちを活気づけ、コミュニティを広げる唯一のツールではなかったでしょうか。



帰りすがら神様から「このような賑やかな場所がなくなり、便利にはなったけど、島の人たちの拠り所がまた一つ無くなってしまった。後継者の問題もありこれから人々が御嶽と呼んでいる場所も無くなっていくでしょう。でもそれはずっと昔から決められていた事です。島にはまだまだ誰も知らない御嶽が存在しています。今の時代は過渡期です。これから世界が大きく転換していきます。私の思いをあなたが伝えてくれるためにここに来てくれた、それがとても嬉しいです」と仰いました。

「神事は何日にも渡って行いますが、それはこの地だけでなく天、すなわち宇宙とも交信しているからです」「あなたが踏み締める道も、そこに生えている草木の一本もすべて神のものですが、それはずっと上の天、宇宙からの力で与えられているのです。それを忘れずに、毎日感謝を込めて過ごしてください」

それをお聞きして、ああ、それはここ来間島に限ったことではなく、私や皆様が暮らしている土地もすべて神様から与えられたものであり、日々感謝を込めて近くの神社の神様にご挨拶させていただこうと思いました。

宮古島の周辺の海には西表島で感じた巨大なエネルギーの源は見当たりませんでしたが、創造の時から延々と島を護る原始神様の暖かく力強いパワーをこの身に感じ、感謝を申し上げました。

同じようにこの日本を護ってくださる様々な神様に心からの感謝を捧げます。


世界が平和でありますように。


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