昨年の6月に私の守り神である武甕雷神を祀った鹿島神宮に参拝させていただきましたが、その際に「東国三社」(とうごくさんしゃ)として鹿島神宮の他に「香取神宮」(かとりじんぐう)と「息栖神社」(いきすじんじゃ)があると知りました。
「【東国三社(とうごくさんしゃ)】は、関東地方にある鹿島神宮(かしまじんぐう)•香取神宮(かとりじんぐう)•息栖神社(いきすじんじゃ)の総称。三社は関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社である。古代、この付近には「香取海(かとりのうみ)」と言う内海が広がっていた。これらの三社の鎮座位置はその入口にあたり、うち鹿島神宮•香取神宮は大和朝廷の東国開拓の拠点として機能したと推測される。また、三社はいずれも『古事記』『日本書紀』における葦原中国(あしはらのなかつくに)平定に関する神を祀っている。江戸時代には「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮に参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したと言う。三社の鎮座位置は直角二等辺三角形を描くことが知られている」(Wikipediaより)
そこで私は、3月のなかばに香取神宮へ参拝させていただきました。江戸時代には「お伊勢参りのみそぎ参り」と呼ばれ、伊勢神宮参拝後にこの三社を参っていたそうです。またこの三社を直線で結ぶとほぼ二等辺三角形となり、このトライアングルゾーンでは不思議なことが起こったり、夢を実現するためにパワーをもらえると言う噂です。
「【香取神宮】 千葉県香取市香取にある神社。式内社(名神大社)、下総国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿島市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社と共に東国三社の一社。また宮中の四方拝で遥拝される一社でもある。
千葉県北東部、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する。日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(ふつぬし)を祭神とする事で知られる、全国でも有数の古社である」(Wikipediaより)
毎年元旦、天皇陛下が皇居•神嘉殿(しんかでん)南の庭にある仮屋の中で天地四方の神祗(じんぎ-天の神と地の神)を拝する「四方拝-しほうはい」
伊勢神宮の皇大神宮、豊受大神宮に拝礼後、天神地祇(てんじんちぎ-天津神と国津神、全ての神々)、神武天皇陵、先帝三代(明治、大正、昭和)の各三陵。そうして、常陸国一之宮の鹿島神宮、下総国一之宮の香取神宮、武蔵一宮の氷川神社、熱田神社、山城国一之宮の上賀茂神社と下鴨神社、石清水八幡宮を遥拝します。
そうして「この世に起こる罪障が我が身を通って浄化されますように」と祈られるそうです。
畏れ多く大変ありがたいお話しです。
昨日までの陽気が嘘のようにその日は朝から冷たい北風が吹き荒んでいました。首都高でトラックが横転して通行止めになったと言う報道が、どのくらい強風だったかを物語っていました。
首都高から東関東自動車道に入り1時間程で「佐原香取」の出口に着きました。
そこからすぐに「香取神宮」の案内板が見えます。
今回は、まず2キロほど離れた香取神宮の一ノ鳥居に参拝しました。JR香取駅を越えた先にある利根川の津宮鳥居河岸にひときわ大きな鳥居が建っています。
香取神宮の祭神経津主大神(ふつぬしのおおかみ)はこの海岸から上陸されたと伝えられています。
ここはかつて香取神宮への表参道口で多くの人たちが訪れたそうです。昔はこの辺りは海でこの鳥居も海の中に建っていたそうです。江戸時代に隆盛した利根川舟運を活用した東国三社参りではこの津宮岸に最初に船で渡り、そこから徒歩で息栖神社。そしてまた船で鹿島神宮まで渡ったようです。この津宮鳥居河岸には灯台の役目を果たした常夜灯や与謝野晶子の歌碑も建っています。
堤防まで上がりそこから利根川を背に見た鳥居は青空なのにとても重い暗い感じを受けました。利根川は暗い色で、凄まじい強風のため絶えず白波が立っていて、同じ色合いの鳥居と同化しているようでした。頭に浮かんだのが【元寇(げんこう)】と呼ばれる鎌倉時代に2回にわたる蒙古による日本侵略を「神風」なる大暴風雨で防いだと言う出来事です。
これは単に気象条件が重なったわけではなく、まさに神様の力であったのだと思います。
私がたびたび講演会や勉強会で申し上げている「日本は特別な国」というエピソードのひとつです。
ひとしきり太古の出来事に思い浸った後に、香取宮本殿に向かいました。
駐車場に車を停めて向かうと「献灯」と書かれた2つの柱に歓迎の文字が鮮やかな門を潜ると参道商店会が続いています。以前鹿島神宮に参拝させていただいた時も平日でしたが、同じように閉まっているお店が多く寂しい雰囲気でした。参道の両脇には香取神宮にまつわるお土産屋さんが並んでいますが、その中でも目を引くのはお団子です。香取神宮では毎年12月に新穀で作った団子を奉納する団碁祭(だんきさい)、通常「団子祭り」が執り行われます。これにちなんで表参道や境内裏手には草団子や焼き団子、きなこ団子などを販売するお店が立ち並んでいるそうです。
その先に朱色が美しい二の鳥居と社号標があります。行った日は枯れ枝でしたが、桜や新緑の季節にはどんなに素晴らしい景色が広がっているのでしょうか。鳥居を潜ると両側に美しい灯籠を配した玉砂利の参道が続いています。
参道を歩くと広場になっており立派な石造り三の鳥居から階段があり、上に総門が覗いています。赤い柱と銅板葺の屋根がとても印象的です。登り終えて参拝させていただくと奥には楼門が聳えていますが、行った日は改修工事のためシートで覆われていました。シートのトンネルを抜けると落ち着いた色合いの何とも上品な拝殿がお出ましになりました。
権現造りと言う本殿と拝殿を幣殿で繋ぐ建築様式で、日光東照宮が採用して以来近代の神社建築で多く用いられるようになったそうです。屋根の端に取り付ける「破風-はふ」と言うデザインが三角の「千鳥破風-ちどりはふ」と下には中国風の丸みを帯びた「唐破風-からはふ」をつけて、屋根は檜皮葺(ひわだぶき-檜の樹皮で施工する)で黒漆を基調として極彩色で彩りを加えています。
参拝させていただいたあとに本殿にご挨拶をしようと裏手に回りました。左手には有名なパワースポットである「三本杉」があります。
源頼義公が参拝した折に「天下泰平、社頭繁栄、子孫長久」の三つの願いをかけたところ一本の杉が三枝に分かれたと言う言い伝えがあるそうです。
それゆえに根本で繋がっている一本の杉になっています。中央の杉は中が空洞になっており、以前はその中に入れたそうです。
その近くには香取神宮奉賛会長であった安倍晋三元首相の筆による「大和心-やまとこころ」の石碑があります。平成26年の完成だそうです。
後ろに回って参拝させていただいた本殿は金の装飾を施した千木と鰹木が美しいやはり黒が基調の極彩色が映える素晴らしい造りになっています。1700年に幕府によって造営されたもので、現在は国指定文化財となっています。
一ノ鳥居に参拝させていただいた時はもの凄い突風で目も開けられないほどでしたが、本殿でご挨拶させていただいた時に、風はぴたっとおさまり、何とも平和で清々しい気持ちになりました。
本殿では「和御魂(にぎみたま)」を祀っています。
それは鹿嶋神宮も同じで、とても穏やかで澄み切った空気が流れています。
「遠くまでよく来ました。ゆっくりしていくように」と歓迎していただきました。
社号標のある二の鳥居から入ってすぐに分岐する道があり、右に香取護国神社と要石があり、左に経津主大神の荒御魂を祀る奥宮があります。先に護国神社に参拝させていただきました。護国神社には香取市や旧香取郡の戦没者4,213柱をお祀りしています。
奥には地震封じの「要石-かなめいし」が石柵の中に置かれていました。鹿島神宮にも要石が置かれていましたが、あちらは石柵の前に鳥居があり要石は意外と小さな印象を受けました。真ん中が凹んでいて柵の中は御神木もあり要石の側の木には「紙垂-しで、しめ縄や玉串に付いている白い紙」が垂れていました。ここ香取神宮の要石は凸型となっていて石柵と玉砂利だけの簡単な展示となっています。その昔武甕雷と経津主大神の両神様が地中深くに石棒を差し込み、地震を起こす大なまずの頭尾を刺し通したと言われています。深さはそれぞれ十尺(3メートル)あると言われ、水戸光圀公が参拝の際掘らせましたが根本を見ることはできなかったそうです。
地震を抑えていただいている感謝を込めて参拝させていただきました。
そのあとに奥宮を参拝させていただこうと思いましたが、先ほど本殿でご挨拶する前から身体が重くなり、要石の辺りで尋常ではないくらいの圧力を感じました。これは何かのお知らせであると思い、奥宮への参拝は後日改めて行うことにしました。その旨を経津主大神様にお伝えしたところ「当然です。次回はまずこちらに寄りなさい」とお声がけしていただきました。
それで急遽奥宮には寄らずに、そこから車で30分ほどのところにある東国三社の一つ、息栖神社(いきすじんじゃ)に参拝して帰路につきました。
そこから約3ヶ月。自分の体力の回復とタイミングを見計らって6月に入ってから再び香取神宮を訪れました。
その日は梅雨入り前の晴天で、二の鳥居は目が覚めるほどの新緑に囲まれて一際存在感を放っていました。
今回は二の鳥居からすぐに左道を入り、要石を通り過ぎて民家風の建物の間を縫って広い道路に出ました。それが旧参道らしいです。そこからまた小径に入ると、仮設トイレと手水舎、そして社務所がありました。ここだけ独立した神社のような雰囲気です。それに何と鳥居と社号標まであるのです。
石段を登り、鳥居を潜ると6月30日に行われる「夏越の大祓い」に使われる茅草で作った輪が設置されていました。紙の人形に行きを吹きかけて身体を撫ぜ、輪を何回か潜り紙を収めるそうです。おまじないか結界のようで神秘的な雰囲気です。そのまま輪の真ん中を通り、奥宮に参拝させていただきました。
「私はいつもここにいます。まずこちらに向かうように。
世間では私と鹿島神宮の武甕雷神が何かと競っているように言われていますが、私たちは一心同体で行動を共にし、とても仲がいいので、あまり焚きつけないでほしい。以前、武甕雷神に私たちが鹿の背に乗って春日大社まで行ったかと聞いたようですが、分け御霊と言う神事のことならその通りです。実際に鹿の背に肉体を有して乗ったわけではありません。あなた方はその春日大社までわざわざ会いにきてくれた。それがとても嬉しいです。しかし、あなたはまず鹿島神宮に参拝に行きなさい。兄者が待っていますよ」と荒御魂らしく歯に衣を着せず力強く仰っていただきました。
私は地震を抑えていただいている感謝と世界の平和を祈り帰路につきました。
秘書が減量を終えたので、前回は泣く泣く見送りましたが、今回は心置きなく名物の草団子をいただきました。売り場のお姉さんのエネルギーに煽られてこちらまで笑顔になります。蓬の香り立つ団子に粒餡が相性抜群で美味しかったです。
いただきながら、やはりこの地には特別なパワーがあると感じました。「縄文神社」であると言う書籍もあります。私はこれからもここ東国三社の参拝を続け、更なる力の解明をすべく経津主大神の力強いお言葉を思い出していました。
世界が平和でありますように
Comments