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秩父神社

5月最後の休日に私は再び秩父を訪れました。

前回ブログで長瀞の宝登山神社について書かせていただいた時に調べましたところ、秩父には秩父鉄道長瀞駅にある宝登山神社、秩父駅近くにある秩父神社、そして終点の三峰口からバスで行く三峯神社があり、合わせて秩父三神社と呼ぶそうです。

実は私は長瀞周辺まではよく訪れておりましたが、その先はお恥ずかしい話まだ行ったことがなく、今回初めて秩父駅まで足を伸ばした訳です。そう言った意味ではこのブログを書くことで色々と調べ発見し、新たな目標を持つことができました。改めましていつもご覧いただき盛り立ててくださいます皆さまに深く感謝申し上げます。


5月初めに訪れた宝登山神社の「奥宮大祭」は別名「ツツジ祭り」と呼ばれ、おじゃました時は見頃のピークは少し過ぎておりましたが、ロープウェイで行く宝登山山頂駅では山全体を多彩な色で飾っていました。しかし今回ツツジはは見る影もなく替わりにハナビシソウ、別名カルフォルニアポピーと呼ばれるカルフォルニア原産のケシ科の花があたり一面をオレンジに彩り見事に咲き誇っていました。わずか同じ5月のうちに山を彩る花の主役が変わってしまい、月日の流れは確実にやってくると言う再認識と共に、自然の営みの偉大さと我々に様々な自然の美しさを見せてくださる八百万の神さまがたの愛情と思いやりに感謝せずにはいられません。


調べましたところ、1年で最初に花を付けるのが前に書かせていただいた春告花と呼ばれる黄色の蝋梅で、その後2月には梅が、3月下旬から4月中頃までが桜、その後に芝桜、そうしてツツジからハナビシソウやポピーを経て紫陽花へと、様々な花達が私たちを招いてくれます。絢爛たる花舞踏会への招待状ですね。


ハナビシソウ園「花の里」は長瀞宝登山神社の近く、郷土資料館前にあります。なので山全体から宝登山神社の柔らかいエネルギーが滲み出ていて、ふんわりと身体の芯から力が湧いてきます。

そして1週間後の6月頭に今度は長瀞から更に先の皆野町から山道をクネクネと登っていった高地の公園で「天空のポピー」と言う催しに行ってきました。こちらは赤、ピンク、白色のとっても華やかなピンクの絨毯が山間の草原に敷き詰められています。ハナビシソウもポピーもそれぞれ全く違った色合いで楽しめます。澄んだ空気、爽やかな初夏の風、そしてのどかな鳥の声。都会の喧騒と複雑な人間関係で絡まった思考を柔らかく解きほぐしてくれるひと時でした。



そこから県道299号線を30分ほど車で走ると、田舎ののどかな風景からだんだんモダンな建物が集まる街中にやってきます。秩父の街は初めて通ったのですがとても趣のある風情でした。道の左に秩父駅がチラリと見えましたが想像していたより近代的な駅舎でした。調べてみますと秩父鉄道は1899年熊谷〜寄居間開業、その後1930年に羽生〜三峰口間前線が開通しました。現在の駅舎は1984に建て直され、昔の駅舎は秩父聖地公園に移設されその後登録有形文化財に指定されました。そして1週間後に旧駅舎を見学に行きました。聖地公園は一万以上の墓石や合葬墓、聖霊殿等があるいわゆる墓地公園でした。激動の時代にみなさまのシンボルとして働いてきた駅舎が今では墓地公園の中にポツンと佇んでいる様子は正直少し寂しい気がします。

秩父の電車としては秩父鉄道線と共に西武秩父線も有名ですが、こちらは1915年に武蔵野鉄道として池袋〜飯能間が開通し人や貨物の流れを一変させました。その後西武鉄道と合併し、1952年に新宿〜高田馬場が開通しそのアクセスの良さから勢力を拡大し、1969年には念願の西武秩父線を開通させました。対する秩父鉄道も東武鉄道東上線を通じて池袋からの直通電車を走らせていましたが、途中で廃止されてしまいました。西武鉄道も採算不振のため親会社の株主により廃止を提案させていましたが、色々と対策を考えて地域発展のために頑張っています。


秩父神社へ向かう参道は500mほどの石畳となっており、大正後期から昭和初期に建てられたレトロな建物が並んでいて番場通りと呼ばれています。平日なので閑散としていましたがとても趣のある街並みでした。そうしていよいよ秩父神社の大鳥居に到着しました。


秩父神社の大鳥居は街中にあります。

同じ秩父三神社の一つ宝登山神社の大鳥居は岩畳から歩くと秩父駅を抜けた先に真っ白の巨大な姿で周囲を圧倒していますが、秩父神社は番場通りの商店街が並ぶ中にまるでそこだけ結界を張ったように透明で重厚な扉かのようなパワーを感じました。大鳥居の真ん中には「下乗」のお札が掲げられています。ここからは乗り物を降りて徒歩で入るようにと言うお知らせですが、街中にある鳥居らしい心遣いだと思いました。また鳥居の真ん中にある事で両端を歩くために神さまの通り道を邪魔しないマナーをさりげなく伝えてくださっているように感じました。


手水舎で清めてすっとひと息入れたのち神門をくぐり社殿に向かいました。

秩父神社は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)から八意思兼神(やごろおもいねのかみ)へと続く知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が第十代天皇崇神天皇の時に国造となりました。

その知知夫彦命がご自身の祖先に当たり、知恵の神様として知られている八意思兼神(やごろおもいねのかみ)を祀った事が始まりと言われています。

ですので秩父神社の祭神は

八意思兼神

知知夫彦命

天之御中主神(北辰妙見として鎌倉時代に合祀)

秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟宮様、昭和28年合祀)

となります。


天之御中主神(あめのみなかぬし)は、高御産巣日神(たかみむすび)、神産巣日神(かみむすび)と共に古事記で最初に生まれたとされる三柱の神さまのお一つのようです。また天の中央と定位とする北辰(北極星と北斗七星)のご神霊であり、仏教では妙見菩薩とも称されている尊い神さまのようです。

北辰妙見さまにちなんだお祭りが有名な「秩父夜祭」で毎年12月3日に行われます。国の重要無形民俗文化財と重要有形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭の一つに数えられています。曳山(ひきやま)とはお祭りの際に使用される装飾された山車(だし)の一種で、お祭りで実際に人々に曳かれる(ひかれる)事が特長です。平成28年にはユネスコの世界無形文化遺産に登録された大変重要なお祭りです。

まだ参加した事はありませんが日程を合わせてぜひ行ってみたいと思っております。


秩父神社は神様が鎮座される本殿と献上物を捧げる幣殿、参拝客を迎える拝殿がひとつになった非常にコンパクトな作りになっています。

しかしそのお姿は目を見張るほど素晴らしく、

埼玉県の重要文化財にも指定されている拝殿は徳川家康公が寄進したもので、権現造りの建築様式になっています。

また社殿に彫刻を施す建築は安土桃山から江戸時代初期にかけて流行したもので、ここ秩父神社では当時伝説の職人と名を馳せた左甚五郎によるものと伝えられ、思わず息を呑む美しさです。

彼が手がけたとされる彫刻は全国で100か所近くあり、有名なところでは日光東照宮の眠り猫や見ざる言わざる聞かざるで有名な三猿ですが、こちらは「よく見てよく聞いてよく話す」三猿で表情も全く違っていますので比較するとさらに面白いと思います。


参拝させていただい時に感じたことは本殿の地中さらに奥深くからもの凄いエネルギーが本殿を突き抜けて空高く舞い上がっていることでした。縦にエネルギーが循環している例はあまりなく、まるで鉱石やマグマのような感じを受けました。

しかも空中に噴出したエネルギーが日の光を浴びキラキラと輝きながら身体に降り注いるようです。

後で調べましたら神社の境内には武甲山の伏流水が湧き出ているそうです。平成の名水100選に選ばれた名水です。更には秩父地方が荒川の源流であるために1592年に徳川家康公が現在の社殿の建立を命じたと言われています。

秩父神社本殿のパワーが、まるで温泉が噴き出すような勢いのある理由のひとつかも知れません。



狭い境内には、神様が立たれたと言われている江戸時代からある神降石(じんこうせき)、三笠宮殿下や秩父宮殿下がお手植えされた御木。水につけると文字が浮かび上がる「水占い」などさまざまな見どころがあります。

神降石については同様に翌週ご挨拶に出向きました。手水舎の左奥、真っ赤な柞稲荷神社(ははそいなりじんじゃ)の前に神降石はありました。説明書きが何もなく見落としていました。少し赤みがかった四角っぽい石というより岩石で、本当に神さまが降り立つように上部が平になっています。石の前で集中しました。

ぼんやりとパワーが滲み出てきました。しかし私はやはり本殿の方が強い力を感じました。しかも今回は神さまに「よく来ました。そちら(水占い)の方は混んでいるのでもっとこちらにお寄りなさい」と優しくお声をかけていただきました。強い力をお持ちの神さまほど優しく慈しみのあるパワーと光を放っておられます。

その後水占いをやってみました。

占いのタイトルだけ書かれた紙を武甲山の伏流水の池に浸すと文字が浮かび上がってきます。とってもドキドキするイベントで心が躍りました。



参拝の後はまた番場通りに戻り手作り感の溢れた暖かい雰囲気のある喫茶店で抹茶とお菓子を頂きました。商店街は小さいながらもジビエ料理や昔ながらの食堂や喫茶店ととても趣のある店が並んでいます。

また今回初めて西武秩父駅直結の「祭りの湯」にお邪魔しました。

「祭りの湯」何か不思議なネーミングだと思いましたが、帰りに正面玄関で写真を撮り、改めて気づきました。「秩父夜祭」の山車や屋台の屋根にそっくりなのです。また秩父の「父」に見えるように工夫されているそうです。そう言えば露天風呂に設置されていた屋根も山車風で、祭りの暖簾も飾ってありとても色鮮やかでした。お風呂を出て別入口からは

フードコート「祭りの宴」や「ちちぶみやげ市」もあり、こちらも山車風の屋根にこれまたお祭りの象徴提灯をたくさん使用しています。

露天風呂や寛ぎスペースからはからは武甲山も眺められ風情を楽しめます。

またこれに先立ち2017年にこちらも駅舎を新しくして、さらには秩父鉄道からの乗り入れも可能にしたのです。今までは縦割りで企業ごとに運営していましたが、地域一帯で秩父を盛り立てようとしています。特に秩父鉄道と西武鉄道は長年の対立からここで手を組み共に存続の道を模索することになりました。

これは秩父全体の過疎化対策に他なりません。

元々秩父市は大滝村、吉田町、荒川村が2005年に合併してできました。大滝村は明治4年に群馬県、明治6年には熊谷県に所属されたりと転々とし、現在は埼玉県として東京都、山梨県、長野県、群馬県と一都三県と隣接しています。

しかし2021年には旧吉田町と旧大滝村の地域が国から過疎地域と指定されました。


これをユネスコ文化遺産で盛り上がる秩父夜祭と三峰山や宝登山への登山客の取り込みで解消しようとする官民一体の過疎対策です。

この時代の流れを、激動の時代に生きて今は墓地にひっそりと佇む秩父旧駅舎はどのように眺めているのでしょうか。


世界が平和でありますように。



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