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加藤眞由儒

春日大社

昨日亀岡の出雲大神宮に参拝させていただき、今日はどちらに出かけようかと考え、この辺りで私の守り神である「建御雷神」を祀っている神社がないか調べたところ、奈良の「春日大社」がヒットしました。そこで私たちは宿泊先の京都から奈良まで出かけることにしました。宿泊ホテルは叡山本線の八瀬比叡山口駅にあります。駅舎は1925年(大正14年)開業当時の木造建築様式のまま残っていて、ホームを覆うドーム状の屋根はヨーロッパのようにモダンな雰囲気でした。2018年からは新しい観光用車両「ひえい」がデビューしました。楕円をモチーフにした美しいデザインで40分に1本だけ走るそうで、それに乗車できてとてもラッキーでした。



その電車で出町柳まで行き、そのあとは京阪本線、近鉄京都線と乗り継ぎ、1時間強で近鉄奈良駅に着きました。そこからバス15分くらいで春日大社に着きました。以前参拝させていただいた鹿島神宮では、雷が鳴ったり霰混じりの雨が降ったりと手荒い歓迎でしたが、今回は晴天の中、清涼な風が心地よく出迎えて下さいました。

「春日大社は奈良県奈良市春日野町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、神社本庁の別表神社。旧称は「春日社」神紋は「下がり藤」。全国に1,000社ある春日神社の総本山。ユネスコの世界遺産に「京都奈良の文化財」の1つとして登録されている。奈良時代の神護景雲2年(768年)、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏·藤原氏の氏神を祀る。主祭神の武甕槌命が白鹿に乗って来たとされる事から、鹿を使徒とする。

祭神は

武甕槌命(たけみかずちのみこと)。第一殿。藤原氏守護神(常陸国鹿嶋の神)

経津主命(ふつぬしのみこと)。第二殿。同上(下総国香取の神)

天児屋根命(あめのこやねのみこと)。第三殿。藤原氏の祖神(河内国平岡の神)

比売神(ひめのかみ)。第四殿。天児屋根の妻。正体は天照大神との説もある」(Wikipediaより)


バス停からまず赤い鳥居のある参道に向かうと、たくさんの鹿たちが出迎えてくれました。春日大社のご祭神、建御雷神が鹿島神宮から神鹿に乗ってやってきたと伝えられたため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。現在も奈良の鹿は天然記念物として大切に保護されています。私は「鹿せんべい」を売店で買い求め、差し出しました。鹿たちは私がモタモタしていると、あっという間に取り囲み突進してきました。突然のことに戸惑っていると、秘書が「早く逃げて」と叫んだのでようやく我にかえりました。

最近話題となっている「奈良の鹿の凶暴化」問題。これは私たち観光客にも原因があるようです。鹿たちとベストショットが撮りたいがために鹿せんべいを持ったままお辞儀をさせて鹿を焦らしたりする行為は、鹿たちをいたずらに刺激するそうです。

また、鹿がお辞儀をするのはおねだりをしているのではなく威嚇しているのだそうです。鹿せんべいの袋を開けたら時間を置かずにすぐに食べさせてあげるのがいいと思います。



その赤い鳥居も他の神社同様に「ニノ鳥居」であり、「一ノ鳥居」はやはり遥か先にあるそうです。

今回はさすがに諦めてそのまま本殿に向かいました。祈祷所や酒殿(春日際に必要な神酒などを調整するところ)を過ぎてから赤い柱と白い壁の回廊に達します。内侍門(ないしもん)と言う一番北の門から時計回りに回廊を沿うように周り、清浄門(せいじょうもん)、慶賀門(けいがもん)と門がありましたが、どれも入場することはできずに、南門(なんもん)」と言う一際大きな門から入りました。高さ12mもある春日大社最大の楼門(ろうもん)で、平安時代の中期には藤原氏の長者(ちょうじゃ-富豪•金持ち)や摂関(せっかん-摂政•関白が主導して行う政治。藤原氏の勢力拡大)による春日大社詣が始まり、その際の参向門とされてきたそうです。その後春日大社の正門としての性格を持つようになりました。



入ってすぐに大きな藤棚と大木がありました。5月初旬、花坊が1m以上伸び砂に擦れると言う事から、「砂ずりの藤」と言う呼名があるそうです。ノダフジの変種と言われ、摂関近藤家からの献木とされ、樹齢700年以上の大木です。満開の時期にはさぞ見事な光景でしょう。その近くには直会(なおらい-祭りにおける酒宴行事)を行う「直会殿」があります。直会は出雲の「万九千神社」(まんくせんじんしゃ)で神様達が神議をした後に開催される事で覚えておりました。幣殿•舞殿(へいでん、ぶでん)は南門正面にある無料で参拝できる建物で、幣殿は天皇陛下のお供え物を一旦納める場所で、舞殿は宮中伝来の御神楽を行う場所だそうです。参拝させていただいた時に「私は右奥の山に一番近い場所まで出向くので必ず寄りなさい」と建御雷神にお声をかけていただきました。それで特別参拝の手続きをして、中門(ちゅうもん)で参拝させていただきました。そうして東回廊を通り本殿より北側に張り出した「御蓋山浮雲峰遥拝所」(みかさやまうきぐものみねようはいじょ)にやってきました。建御雷神が白鹿の背にお乗りになり、鹿嶋から天降られた御蓋山頂上の浮雲峰を遥拝(ようはい-隔たった場所から拝むこと)する場所です。御蓋山は日本各地にある神奈備(かんなび)と呼ばれる、神が鎮座すると言う秀麗な山のひとつです。御蓋山は笠を伏せたような形状からその名がついたと言われています。奈良時代に阿倍仲麻呂が百人一首の中で「あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」とあまりにも有名な句を詠んでいます。



遥拝所から心を込めてご挨拶させていただきました。

「人間としてここまでの距離をこうして時間と費用をかけて、私に会いにきてくれてありがとう。

私は気の利いたお世辞は言えませんが、幼少の頃からずっとあなたを見守ってきました。昔はとても気が強く、自分を抑えて人の話を聞く事などできなかったあなたが、年と共に丸くなって、こうして人々の相談に乗ることができるようになって、とても嬉しく思います。終わりを決めることで何とか今まで続けてこられたようですが、できれば工夫をしながらでも、これからもたくさんの人々の悩みに寄り添ってほしいのです」と優しくお声をかけてくださいました。

私と建御雷神のやり取りを知らない秘書が「なにか地味な感じですね」と言ってきたので、「グラッとくるかもよ」と返しました。

中門に戻った時に「そこにある大きな木は神木なので近くでよく見るように」と言われて、近くにしばらく佇んでいました。高さ25mの杉の木で、樹齢は800〜1000年と言われています。驚いたのがその杉の根本から別の木が社殿の屋根を突き抜けている事です。柏槙(びゃくしん)と呼ばれる木で、樹齢は600年と言われています。この木を守るために隣に建つ直会殿の屋根に穴を開けたと言う事です。自然の中に神を見いだすと言う神道の心をよく表していると言われています。最後に藤浪之屋(ふじなみのや)で暗い部屋の中、仄かな燈籠の明かりが浮かび上がる幻想的な雰囲気に浸りました。ここは江戸時代までは神職の方の詰所として使用されていたそうです。


そうして参拝を終えバスで近鉄奈良駅の近くでまで戻り食事を摂りました。その後、来たルートをそのまま引き返したのですが、近鉄難波•奈良線から京都線に乗り換えたり、特急には特急券が必要だったり、老人2人旅はハードルが高く、軽くパニックに陥りながらも何とか無事にホテルに到着しました。喫茶室でコーヒーを飲み、油断し切ったところで、突然下から突き上げるように揺れが始まりました。

秘書は突然の事でパニックになっておたおたしていました。大事には至らずに安心して座ったのを見届けてから、私は内心ニヤリとしました。先ほどまでは、たかを括って我が物顔でいたのに急に慌てる素振りがおかしかったからです。

地震速報によると、2月14日午後3時29分、京都府で最大震度4を観測する地震が発生しました。震源地は京都南部で震源の深さは10km、マグニチュードは4.3と推測されます。秘書がビックリしたのは地震そのものではありません。建御雷神が日本に地震を引き起こす大鯰(おおなまず)を押さえる浮世絵が昔からたくさん描かれていて、地震を司る神様としても知られていたからです。

私にしてみれば一矢報いて溜飲を下げた感じです。

また、その後も「本当に鹿に乗ってやってきたか聞いてください」と急かされて困りました。私と神様との距離感も考えて欲しいと思ったからです。ともあれ最近では参拝させていただく前に建御雷神様にご挨拶させていただくと、お声をかけていただくこともあり、とても有り難く感じます。歴史や背景を勉強させていただく中で、また一歩お近づきになれたように感じ深く感謝いたしました。


世界が平和でありますように。


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