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加藤眞由儒

三峰神社

更新日:2023年9月2日

秩父と言えば今まで長瀞までしか行ったことがなく宝登山神社だけを参拝していた私ですが、ブログを書かせていただくうちに秩父三神社の存在を知り、先日秩父神社に参拝させていただいた時には温泉のように吹き出し宙から降り注ぐパワーを身体中に浴びました。そうなると残るのは三峰神社だけです。実はその頃から三峰神社の神様から強い圧を感じていました。「夏休みになると混んでくるので今のうちにいらっしゃい」とお誘いいただくのですが、何しろ宝登山神社から更に50キロ程離れていて時間的なスケジュールを考えると中々伺えずに延び延びとなっていました。

意を決して出かけたのが梅雨もまもなく終わる7月半ばのことです。

いつもでしたら関越自動車道花園インターを出てから国道140号線をのんびりと行くのですが、今回は時間短縮のため皆野寄居有料道路を使いました。

全国の高速道路でのETC利用率が93%を超える中、地方道路公社の有料道路は決済がとても不便に感じます。一つの出入口に無人型ETCを導入するには10億程の資金がかかるためなかなか導入できないそうです。そんな中ETCカードではなくSuicaやPASMOの交通系ICカードが使える有料道路が増えてきています。この皆野寄居有料道路も2020年から使えるようになりました。また最近では「ETCX」などETC技術を活用したキャッシュレス決済ができる会員サービスも始まっていて、今後は私たち個人が会員登録することで地方有料道路だけでなく駐車場やガソリンスタンド、ドライブスルーなどでもキャッシュレスで対応できるようになるそうです。交通系ICカードが使える有料道路ではイオングループのWAONにも対応できるところも出てきているようです。停車してから慌てて財布の小銭を漁らずにすむだけでも大変ありがたく感じます。

15分ほど時間短縮したのち皆野から140号線に合流し、そのまま秩父駅を越えました。その先は初めて通る道になります。自然豊かなと言うよりは開発されていない原野の中に小さな民家が点在する典型的な過疎地の風景でした。廃屋と化した民家や商店も見受けられ前回のブログで触れた過疎化の問題を目の当たりにした瞬間でした。そう言えばネットニュースで目にしたのですが、5月中埼玉県で人口が増えた自治体は①川口市②さいたま市③朝霞市で減った自治体は①秩父市②幸手市③本庄市だそうです。秩父鉄道終点の三峰口に分岐する道も山の中にあり駅前商店街の賑やかさは感じられませんでした。


秩父地方はダム建設が多く昭和36年の大滝村二瀬ダム。これは私が生まれる前の話ですが住民を移転させ、水没した街の様子が言い伝えられて、ある種トラウマ的な恐怖体験談として記憶しています。この時の移転が30世帯、平成11年の浦山ダムに50世帯、平成15年合角ダムに75世帯、平成20年滝澤ダムに112世帯と四つのダム建設で267世帯もが移転を余儀なくされたのです。その中の合角ダム建設で水没する住民の生活を取材した著書「村とダム-水没する秩父の暮らし」(山口美智子 すずさわ書店 1996/12/1)の中で、移転した75世帯の住民は当初「ダム建設は絶対嫌だなあ」「ふんとに嫌だなあ」と嘆いていたそうですが次第に「都会の人に水をくれるためにここから出ていくだけど、これから大勢の人のためになるなら、これも仕方ねえことなんだなあ」とダム建設を容認します。しかし移転したあとも望郷の念は募るばかりだったそうです。

歴史に詳しい方でしたらご存知だと思いますが、この辺りは明治17年に政府に対して負債の延期、税金の減額を求めて10,000人近くが起こした日本近代史最大の農民蜂起「秩父事件」の起こった場所です。

そのような反骨の遺伝子をもつ住民たちが都会の人たちのために自分の住む場所を提供したのです。

「都会の人たちのために」現在私たちが便利な暮らしを送る事ができるのは、このダム建設を始めとした様々な犠牲の上に成り立っていると言う事を忘れずに感謝していきたいと思います。移転に対して充分な補償をしたのだから、では済まない問題だと思います。それは日本の地方間による経済格差がもたらす負の財産とも言えるのではないでしょうか。


荒川源流の秩父湖に係る二瀬ダムの上を渡って三峰神社に向かう事になりますが、安全のためか高い防壁に囲まれてダムの様子を窺い知ることはできません。寂れている周囲の様子も相まって黒い歴史に蓋をしているような感じを受けました。

ダムを過ぎると急勾配の坂道が続きます。車や三峰口からバスを利用される方もいらっしゃると思いますが、乗り物酔いされる方は要注意です。酔い止めの薬を服用したり対策なさる事をお勧めします。すれ違いをスムーズに行う運転技術と度胸も必要ですので、事前によく計画を立てた上でお越しください。

山道を登っていくあたりから三峰神社の神様の存在を強く感じました。車ごと私の身体を抱きしめる感覚です。それは力で押し潰すのではなく羽衣の天女のように絹の布をふわりとかけていただく感覚です。母親の胎内に居た事は覚えておりませんが、おそらくこんな感じだと思わせるような安心感に包まれてきました。そこから三峰神社の駐車場に車を停め、案内板を確認してから山道を登り始める私たちの一挙一動を暖かく見守っていらっしゃるのがわかりました。


三峰神社はその名の通り三峰山にあります。

三峰山は妙法が岳(みょうほうがたけ)、白岩山(しらいわさん)、雲取山(くもとりやま)三山の総称ですが、三峰神社のある山のいただきを三峰山と呼ぶ事が一般的になっています。また奈良県と三重県の県境に同じ字を書く三峰山がありますが、こちらは「みうねやま」と言い、日本三百名山の一つに数えられているそうです。


三峰神社は秩父三神社の中では秩父神社に次いで古い歴史があると言われています。

景行天皇の命により東国平定に遣わされた日本武尊(やまとたけるのみこと)は碓氷峠(うすいとうげ)に向かう途中三峰山に登りその美しい景色に感動し、国を造られた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)のニ神に感謝され仮宮を建て、この国が永遠に平和である事を祈られました。これが始まりとされています。この時道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神の使いとして一緒にお祀りされているそうです。この記述はあとで調べたもので参拝した時は全く存じ上げておりませんでした。なので私の身に起きた不思議な出来事については後になって理由がわかった次第です。



駐車場から階段を登り小道を登るとビジターセンターがありその後ろに飲食店が点在してしています。その先の秩父宮記念館を通り過ぎると三峰神社の鳥居に到着します。鳥居は普通の形ではなく真ん中に大きい鳥居が建ち両側に小さい鳥居が重なっていて3つの鳥居から成っています。三ツ鳥居と言うそうです。鳥居の前には狛犬ならぬ狛狼が睨みをきかしています。大口真神(おぐちのまがみ)、御眷属様、山犬様などと呼ばれているそうです。

台座には文字が書かれていました。右には「神徳」(しんとく)=神の功徳。左には「無邉」(むへん)=無限の世界 です。

鳥居をくぐり参道を歩いていくと四つ角にさしかかりました。どちらにいくか迷っていると参拝順序の案内があったので左に曲がり下っていきました。

鮮やかな色の門が目に飛び込んできました。石道の脇に石灯籠その後ろに高く聳える杉を拝した圧倒的な景観は畏れを成すほど美しかったです。随身門(ずいしんもん)と言うそうです。



完璧な構図、どことなく中国を思わせるような建築様式です。江戸中期仁王門として建立され明治時代の神仏分離令の際に仁王像が撤去されたそうです。

小道を行き進むと今度は少し太めの狛狼の像がありました。秘書は像の写真を撮ってましたが、私はその先の光景に驚き固まってしまいました。小道脇の切り株の隣で大きな犬のような何かがこちらを見ていたからです。透き通っているわけでも光っているわけではありませんでしたが、私は一目でこの世のものではないとわかりました。精一杯親しみをこめながら、しかし少しおどおどしているようにも見えました。切り株の中に後ろ足を畳んで座るとコロリと丸くなって私を見つめました。毛並みが良く黒光していて一見大柄な犬と言った印象でした。しかし異彩を放ち周りの空間からは浮き上がって見えました。横になったのは私を待ち続けて疲れたのかも知れません。

一体何が起こったのかわからないまま足を進め拝殿の手前にやってきました。長い石段を登ると青銅の鳥居がありました。1845年に東京の深川から筏(いかだ)を引いて持ってきたそうです。

青銅の鳥居から覗く拝殿はまた見事でした。

鳥居と同じ色合いの灯籠、酒樽、高く聳える杉の木がシンメトリーに配されていてとても美しい構図です。

手前にある拝殿は権現造りで極彩色の彫刻で三峰山の草花が描かれています。1,800年の建立だそうです。奥の本殿には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)がお祀りされています。1,661年建立で春日造り一間社となっており県文化財に指定されています。

三峰神社の神様にご挨拶させていただいた時、「待っていましたよ」とお声をかけていただき、その後はしばし無言で対峙させていただきました。

抱かれる力が増してきました。



その後、お土産屋さんを覗いた時にさらに驚きました。狼のTシャツから手拭い、クリアファイルなど狼グッズで溢れていたからです。

その時初めて先ほど見た狼が三峰神社の眷属であると理解したのでした。勿体ないくらいのお出迎えに熱い想いが込み上げてきました。帰り道にあの狼を探しましたがもう姿はありませんでした。

参拝した時に神様から「左側をよく見るように」と言われました。

拝殿の左側の石畳に龍が浮き上がっているお姿が見られます。2012年、辰年に突然発見されたと言う事です。秘書が全く気づかずにスルーしていたのでこっそり教えてあげたところ慌ててお詣りしていました。龍の顕現は先ほどの随身門の天井にも見られます。参拝の際はよく探されて御神力をいただいてください。秘書のように幸運を逃す事のないように。


その後先ほどの四つ角から上の道を登り小高い丘の上に見晴らしいい社殿がありました。

「遥拝殿」(ようはいでん)と言うそうです。

遥拝殿とは離れた場所をお参りする場所と言う意味らしく、この場合はずっと先にある奥宮の事でしよう。しかし、この拝殿からの眺めも実に素晴らしく、調べましたら奥宮を擁する「妙法ケ岳」が右手に聳えています。秩父盆地や秩父市街を一望でき、季節によっては雲海を見る事もできるそうです。

三峰神社はとても広くちょっとしたハイキングくらいの運動量があります。しかし最後に目にした遥拝殿からの絶景で全ての疲れが吹き飛びました。

その後、秩父宮記念三峰博物館に立寄り三峰神社の歴史や狼との関わり、そして宮様の御下賜品などを見学してから帰宅の途につきました。


時計を見ると1時間半も滞在していました。

もし奥宮まで参拝させていただくと大変時間がかかると思います。平日でもかなり混んでおりましたので休日の混雑は覚悟していかなければいけないと思います。尚且つ到着までの山道を考えると綿密な計画を立てられることをおすすめします。

しかし三峰神社には疲れを吹き飛ばし活力を与えてくださるパワーに満ちています。

どうぞ三峰の神様に優しく抱かれてくださいませ。


世界が平和でありますように。


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