前回、初めて「あしかがフラワーパーク」を訪れ、その美しさに感嘆しました。さらに、ライトアップも行われていると知って、絶対にまた訪れなければならないと強く思いました。そして1週間後に再び訪れることにしたのです。
当日は、午後遅めの時間に出発、足利に到着後まずは神社を訪れました。
今回は別の神社、「八雲神社」(やくもじんじゃ)を選びました。足利市内には5か所も八雲神社があるそうです。
一説によれば、足利は古代から栄えた場所であり、多くの人々が八雲神社を崇拝していたため、数多くの八雲神社が建立されたと言われています。また足利には山や川などの自然のパワースポットが多く、そうした地形を神聖視して神社の建立に繋がったとも言われています。さらに、足利家という武士の家系が古くからこの地に存在し、八雲神社を庇護する役割を果たしてきたとも言われています。このように、八雲神社は地域の人々にとって大切な場所であり、信仰や願いを受け止める場所となっています。多くの八雲神社が存在することで、地域の文化や伝統が継承され、人々の心の拠り所となっているようです。
実際に「渡良瀬橋」を渡りながら鉄道の橋の印象が夕暮れの景色ととてもよく合っていました。
「渡良瀬橋(わたらせばし)は栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に掛かる下呂平行弦6連ワーレントラス橋。全長243.27m、幅員5.5m。
1992年以前は地元の人間でも半数は別名の「鉄橋」(てっきょう)と読んでいたため、あまり認識していなかった。しかし森高千里が「渡良瀬橋」を歌うと「渡良瀬橋ってどの橋」となり、一気に知名度が上がり、地元も力を入れ出し、外観も綺麗に塗装され夜にはライトアップまでされて、今では足利野観光名所の一つとなった。2007年、「渡良瀬橋」の歌碑が建てられ、横のボタンを押すと「渡良瀬橋」が流れる(Wikipediaより)
その後、細い道を何度も曲がり、足利公園の麓にある八雲神社の総社に到着しました。
「八雲神社(やぐもじんじゃ)は栃木県足利市緑町にある神社。素戔嗚男命(すさのおのみこと)を主祭神とし、大国主命、少彦名命、火具土命を配祀している。過去には通の八雲神社を牛頭天王下社と呼んだのに対して、当社を牛頭天王上社(こずてんのうかみしゃ)と称した。
社伝によると、貞観11年(869年)に清和天皇の勅定により素戔嗚男命の他二神を祀ったのが始まりという。一方で日本武尊が東征の際に出雲大社を勧請したと言う伝承もある。
中略
2012年(平成24年)出火により社殿を全焼した。
2015年(平成27年)2月20日、八雲神社は内宮別宮の月讀荒御魂宮から式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建する事を発表した。
2017年(平成29年)12月9日、社殿の再建に伴う神事が行われた。月讀尊が新たに合祀された。
当社には直径55センチ、重さ18.7キロの「牛頭天王の神鏡」が伝わっている。1695年(元禄8年)社殿改築の際に奈良、平安時代の小銭が出土。この地の領主の本庄宗資は小銭から5つの神鏡を鋳造させ、そのうち4つを皇大神宮、鹿島神宮、若宮八幡宮社、護国寺に奉献した。残る1つが当社に伝わる神鏡であり、足利市指定文化財であるが、平成24年の火災により消失している」(Wikipediaより)
小銭から鋳造した神鏡を奉献したり、伊勢寺の古材から社殿を建立したり、ほかの神社ととても良好な関係であったことが伺えます。神職さまのお人柄でしょうか。足利地方の方の優しさでしょうか。
心が暖かくなります。
足利公園の駐車場に車を停めて、神社に向かいました。鳥居から本殿まで見渡せるコンパクトな作りですが、とても温かみのある神社です。本殿はまだ新しい感じがします。拝殿の中に提灯が灯り鳥居からでもその明るさが感じられました。
参拝させていただいた時に「またお会いしましたね。色々と尋ねているようで私も嬉しいです。私たちの繋がりを理解して参拝する事で更に大きな気づきを手にする事ができますよ」と優しくお声をかけていただきました。勉強して参拝し、復習してから自分のものにする。それがまた神様に近づく道になるのでしょう。左手に「本殿」と言う立て看板があり、伺ってみると伊勢神宮からの古材で建立したお社が顔を覗かせていました。
拝殿が新しい分、本殿の重厚感が際立っているように感じました。
拝殿右手は坂になっていて1番近くに稲荷神社、そしてその右手に階段、灯籠がありその奥にしめ縄で結界を張ったお社がありました。前面の壁が小窓のように空いていて中がよく見渡せます。「織姫神社」と書かれてありました。
「織姫神社はのちに通4丁目の八雲神社の境内社として祀られた。1879年(明治12年)8月24日に通4丁目の八雲神社から織姫山に遷座された」(Wikipediaより)
遷座されてもお社をきちんと残して祀ってある事に八雲神社の暖かさと思いやりを感じました。
その隣には鳥居の先に両側に灯籠を配し、真ん中に大きな大黒様を祀っています。大国主命をお祀りしている事に関係しているのでしょうか。
とても福々しいお姿です。「こんなに太っていないし、不細工ではない」と言うお言葉を思い出し、思わず笑みを浮かべてしまいます。
坂道を登ると足利公園の散歩道に合流して、足利公園の古墳群が見えてきます。
調べましたところ栃木県では考古学研究の歴史として注目される発掘調査が2つあるそうです。一つが、「水戸黄門」さまで知られる徳川光圀(水戸光圀)の命による1692年(元禄5年)の現大田原市の侍塚古墳発掘調査です。この時に出土した那須国造碑(国宝)は現在の笠石神社の御神体として祀られているそうです。
そして、もう一つが1886年(明治19年)日本の考古学創始者の1人である坪井正五郎(つぼいしょうごろう)先生による足利公園古墳群の調査で1~3号墳の3基です。このような小さい古墳は副葬品も少なく、全国至る所にあるために調査する事はありませんでした。しかし、坪井先生はこれらの古墳を丁寧に発掘調査して報告書を作ったそうです。
この3基の円墳は古墳時代後期のもので、我が国最初の日本人による学術的な発掘調査の行われた古墳として考古学史上記念すべき古墳だそうです。
先の織姫神社も山の上が古墳になっていました。
やはり先人たちは我々現代人よりもパワーを秘めた地を選別する能力が高かったのかも知れません。
とても勉強になるこの八雲神社参拝でした。
そして気づかなかったのですが、境内には森高千里さんが植樹した藤棚があったそうです。
2012年に焼失し、再建した社殿は随分と雰囲気が変わってしまったようですが、以前の画像を拝見すると「渡良瀬橋」に出てくる歌詞にとても合った神社だと思いました。何よりも足利の方が、森高千里さんが歌うこの名曲を愛し、碑を建て、神社にも関わることで人々の記憶に生き続けると思うと、とても暖かい気持ちになりました。
その後ライトアップされた「あしかがフラワーパーク」にお邪魔しました。
ゴーデンウィークの谷間だけあって駐車場はかなりの混雑、駐車するにも離れるのにもかなりの時間を要しました。 前回の訪問からわずか1週間しか経っていませんが、今回は藤の主役が紫から白や黄色へと移り変わり、ツツジも終わってバラやシャクヤクが咲き始めていました。
季節の移り変わりの速さに驚くと共に以前いただいた、四萬部寺のお葉書の一文「しかるべき時がくると ただ咲く計らいのない生き方を自然は教えてくれます」を思い出しました。
思い通りになる事などひとつもない。私たちも肩肘張らずに無理をせずに生きていかなければならないと。
今回「あしかがフラワーパーク」の花たちが、織姫神社と八雲神社のご縁を繋げてくれたのです。
そうして八雲神社と織姫神社が内宮と深く関わっている事や出土した古銭から神鏡を鋳造し、鹿島神宮や護国寺などに奉献したと学び、その結びつきを知り、また栃木県の古墳などの歴史を再確認する事ができました。以前から私は神社について何も知らずに参拝してきたと申し上げていましたが、少しずつ勉強をしながらまた一つ神様を身近に感じ、畏れ多くも再び参拝に伺おうと、思いを新たにしました。
世界が平和でありますように。
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