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加藤眞由儒

出雲大神宮

更新日:4月1日

今年も早いもので、あっという間に節分が終わり、立春を迎えました。元旦から大きな地震があり、大変な年明けとなりました。被災された皆様には心からお見舞いと、一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。


思えば約30年前、池袋の定食屋さんで大国様が初めて秘書の肩先に顕現され、その後色々と話をお聞きしました。節分の際には白い着物をお召しになり、どことなく緊張されたご様子でした。それだけ節分で身を清める事はとても大事であり、お客様にも幾度となく申し上げてまいりました。

昨年10月に初めて出雲大社に参拝させていただき、大国様が大国主命であると知りました。その後、事務所に戻り、大国主命が「丹波からきた」と仰ったことをきっかけに、京都亀岡に出雲大神宮がある事を知りました。それで2月の節分明けに出雲大神宮を参拝する事にしたのです。

実は1週間くらい前から再び秘書の首元にあの印が現れました。秘書の名誉のために申し上げますと、それはけっして首輪のように拘束するものではありません。例えるならば紙に描いた人物のイラストの首元に習字の添削朱液のようなものでチェックを入れ、それを立体的にしたような感じです。一部空間が歪んでいてこの世のものとは思えず、初めて見た時は驚きました。今もなかなか慣れずにいます。この現象について、まだ観察は必要ですが、秘書の出身である北海道の父方の祖父が島根県をルーツにすると聞き、出雲と関係しているようにも感じられます。しかし、勉強会で申し上げましたように、私が解明する前に秘書自身が自分の過去世を知り、大国様との関係に気づく事を期待しています。また、全く脈略のない事しか覚えていない秘書の夢も勉強会で学んだように、魂側からの情報を受信できるようになると大国様からお話をいただきました。


「出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都亀岡市にある神社。式内社(延喜式内社-平安時代の法律をまとめた『延喜式(えんぎしき)』の中の神名帳に記載されている神社)

丹波国一宮。丹波とは京都府のほぼ中央部に位置する亀岡市、南丹市及び船井郡京丹波町の地域を指し、一宮(いちのみや)とはある地域の中で最も社格の高い神社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。出雲大神宮は「出雲」を社名としているが、島根県の出雲大社や同じ亀岡市にある出雲大社京都分院とは別法人の神社である。祭神の大国主命については、一般には出雲大社から勧請(かんじょう-神社の神霊を分けて、新設した別の神社にも祀ること)したと言われる。ただし社伝では逆に、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「下出雲」の通称がある」(Wikipediaより)

今となってはどちらが先かとか言い出しても仕方のないことではありますが、現在の両神社の関係は良好なようです。


「出雲大社との関係も2009年(平成21年)の社殿創建1300年を境に一層の交流が始まっている。参道に立つ『国幣中社 出雲神社』の社名票は出雲大社の元宮司•千家尊福の筆によるものである。2014年(平成26年)に造られた正面の石碑『丹波國一之宮 出雲大神宮』の揮豪(きごう-筆をふるって字や絵を書くこと)は出雲大社現宮司•千家尊祐の筆である」(Wikipediaより)


出雲大神宮の主祭神は言わずと知れた大国主命と、高産霊尊(たかむすび)の子で、国譲りの際に大国主命の妻となった三穂津姫尊(みほつひめのみこと)の二神です。三穂津姫尊は天津神であり、大国主命の多くの后神の中で最後の后であり、その婚姻は天津神と国津神の結びを担う一種の政略結婚と言われています。


と言う事で、私たちは2月の連休が終わった仕事始めの日に京都に向けて出発しました。通勤時間帯にあたり電車はかなり混み合っていました。最近では慣れて2泊ぐらいでしたらキャリーケースを使わずにリュックで出かけられるようになりました。

東京駅は相変わらず人で溢れかえっていましたが、人の波をかき分けてお弁当を購入し、新幹線に乗り込みました。

新幹線は2時間程で京都に着きました。晴天のため富士山を見ることができるかと楽しみにしていましたが、調べ物をしていたため見逃してしまいとても残念に思いました。

京都から山陰本線に乗り換え終点の亀岡まで30分弱でした。乗車した時はやはり乗客でごった返していましたが、途中の嵐山でほとんどの人が降りてしまい、その後はゆったりと座ることができました。

亀岡駅は周りに何もなく、とても空気の澄んだ場所でした。タクシー乗り場には1台もなく、バスも1時間待ちで、ほとほと困り果てた頃ようやくタクシーが捕まり安心しました。

そして、15分ほど畑の中や見晴らしのいい田舎道を走り出雲大神宮の鳥居に到着しました。頭がズキズキと脈打つのがわかりました。入り口の鳥居は「千年宮鳥居」(せんねんのみやとりい)と言って、2014年、社殿創建千三百五年記念事業の締めくくりとして建立したそうです。



鳥居を潜ると右手に前述した出雲大社の元宮司と現宮司の筆である社名標と石碑があります。両神社がとても良い関係である事がわかり、自分の事のように嬉しく思いました。

参道を進み一ノ鳥居前には「しあわせ、なぜうさぎ」の像があります。「因幡の白兎」のことで「古事記」には欠かせないお話です。

中に拝殿を覗かせた一ノ鳥居はとても風格を感じさせる佇まいです。鳥居を潜った右手には「真名井のいずみ」があります。御神体山の御影山の伏流水が流れていて、お持ち帰りが自由なために、ペットボトルやポリタンクに入れて持ち帰る参拝客が絶えないそうです。

そう言えば出雲大社にも境内から少し離れたところにも真名井の清水がありました。

真名井とは 井(い-泉や流れなどの水を汲むところ)に接頭語である真名(まな)を付けた語(言葉)でありこの場合水につけられる敬称になります。



一ノ鳥居を潜った時に、空気でできたバリアのように結界が張られているのを感じました。まるでクリスマスのスノードームのように閉ざされた感じです。それも一つではありません。本殿の手前からさらにもう一つ、ひと回り小さなバリアが張り巡らされていて二重となっており、そこだけ外の世界と完全に隔絶されています。本殿の前で参拝させていただいた時に、ちょうど参拝客のひとりがお祓いか何かで本殿の中で頭を下げ、太鼓が鳴らされた時に私たちも同じタイミングでご挨拶をしました。ちょうど神様がお出ましになる合図です。

「本日は遠いところありがとう。ここが私の家です。隅から隅まできちんと見ていくように。でも、川口の事務所に意識が無くなることはないので、心配しなくて大丈夫です」とお言葉をいただきました。

そして后神である三穂津姫尊はとても奥ゆかしく、一歩も二歩も下がって控えめにしていらっしゃいました。

しばし神様と対峙したあと、本殿の右肩に聳える御影山(みかげやま)に足を運びました。龍神をお祀りしている御影の滝(みかげのたき)や、なんと五世紀〜六世紀前の前方後円墳車塚古墳があり、出雲大神宮ゆかりとの言い伝えもあるそうです。その側には岩を注連縄で巻いた「磐座」(いわくら)があります。原始信仰に基づく神の宿る岩であり、確か出雲大社近くの「命主社」(いのちぬしのやしろ)も古代の磐座が神社になった貴重な例であると言われていました。近くに私の守り神である建御雷神を祀った「春日社」(かすがしゃ)もあったのですが、こちらも完全に磐座となっており、気づくことなく通り過ぎてしまい、後になってとても残念に思いました。さらに鳥居を潜ると「上の社」(かみのやしろ)があります。こちらも出雲大社の「素鵞社」(そがのやしろ)と同じで素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお祀りしています。出雲大社ではお砂取りをした際に八雲山の岩肌に触れて電気が走ったと書きましたが、こちらも神社の周りが御蔵山の岩肌に囲まれていて、とても強大なパワーを感じるのでした。そう考えると、この出雲大神宮は島根の出雲大社に環境も作りもそっくりです。違うところと言えば、出雲大社が国津神を祀ったと言われる「妻入り」建築で、ここ出雲大神宮は天津神系の「平入り」であると言う事くらいです。あと、出雲大社の御神体とも言われている「八雲山」(やくもやま)が全くの禁足地であるのに対して「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)をお祀りしている「御影山」(みかげやま)は参拝する事ができます。上の社の右手上り坂にも鳥居があり、その先は社務所で「入山」「下山」の時間を記した受付をしたのち、襷をかけてから入山しなければなりません。「隅から隅まで」と秘書に言ってしまった手前、入山しないわけにはいかなくなりました。



一度、社務所まで戻ってから準備をして再び坂を登りました。最初の鳥居を潜った辺りから指先がピリピリと痺れ始めて、だんだんと上半身が痺れて身体が重くなりました。襷を掛けているのでまだ耐えられているのだと思いました。

歩道には注連縄が張られて結界となっています。普通の山にはたくさんの人霊や獣の霊が集まっていますが、この御影山はとても清まっていて、まさに「神の世界」となっています。その上の鳥居を潜った途端に急に身体が軽くなりました。身も心も爽快な感覚です。「国常立尊」を祀った磐座を参拝させていただきました。


【国常立尊】(くにとこたちのみこと)「日本書紀」で天地開闢(てんちかいびゃく-天と地ができた世界の始まり。世界の初め)の後に最初に出現した原初の神

(コトバンクより)

深層の世界を覗いたような不思議な感覚を覚えました。出雲大社の八雲山にはそれこそ八百万の神がびっしりといらっしゃいましたが、ここ御影山は一つにまとまった神様でした。あと感じたのは、ここ出雲大神宮は日本古来の神様だけいらっしゃいますが、出雲大社は海外の神様も感じます。それは伊勢神宮も同じで、日本のみに関わらず人類の始まりに関係する神社であるように思われます。



ボディビル大会間近の秘書について「頑張ろうと思うとかえって頑張れない。しかし頑張る事を諦めてしまえば、そこで終わってしまう。力を抜いて深呼吸をしなさい。日頃やってきた事は身体と心が覚えている」と言うお言葉をいただきました。

秘書には「気負わずに普段通りに行いなさい」と声をかけました。


こうして出雲大神宮に参拝させていただいて2時間弱、ありがたい時間を過ごさせていただきました。また、社務所ではご親切に神職の方にタクシーを呼んでいただいて神社を後にしました。


亀岡駅は車で15分ほど離れています。駅にはタクシーがほとんど停まっていませんでした。近年の運転手不足を実際に体感しました。バスの便も2時間に1本と少なめです。レンタカーやタクシーを事前に予約するなど、充分な準備をお勧めします。

しかし、不便さを感じさせない程の暖かい歓迎を神様からいただきました。

このような特別な感覚を呼び覚ませてくださった事、畏れ多くも心より感謝申し上げます。


世界が平和でありますように


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