今年も早いもので気がつけばもう8月、半分以上過ぎてしまいました。思えば梅から桜、そして藤や躑躅(ツツジ)を経て紫陽花から向日葵へと、私たちの一年はまさに花たちに彩られて過ぎていきます。その美しさと奇跡に気づく事が感謝の気持ちを持ち続ける第一歩になるのではないでしょうか。
以前、参拝に伺った秩父四萬部寺から四季折々、丁寧にしたためられた葉書が送られてきます。参拝させていただいた時、本堂の老朽化があまりに悲しくて「銅板志納のお願い」に添い僅かばかりの志を施させていただいたのですが、それから屋根修繕経過と共に心打つ仏語を手書きの水彩画に載せて届けていただいて、恐縮しつつも、その短い言葉に秘められた真理に感嘆するのでした。ある時の葉書に
「春来たらば、草自ずから生ず」とありました。続いて
「私たちの計らいとは、夏に雪を降らせ 冬に桜を咲かせようとするようなものです。思い通りなることなど一つもなく、そのような生き方は自分を苦しめる原因となります。しかるべき時がくると ただ咲く計らいのない生き方を自然は教えてくれます」
と書かれてありました。何と素敵な言葉でしょうか。肩肘を張らずに花と共に生きる。自然は私たちにそう教えてくれています。
また四萬部寺で顕現された梵字についても更に勉強しなければと気持ちを新たにしました。
葉桜が美しく映えて花粉症もいくぶん楽になった頃、次は何の花を見に行こうとあれこれ考えていたところ、ネットで美しい藤の映像を見ました。
「あしかがフラワーパーク」です。川口からは65キロ程で、栃木県ではありますが秩父とほぼ同じ距離です。藤の花が綺麗だとよく聞くのですが、まだ実際に見た事がないので、行くしかないと思い立ち、GWが始まる直前の午後から出かけました。前日の雨も上がり、朝から快晴のドライブ日和でした。浦和インターから東北自動車道に入り、佐野藤岡インターチェンジまで1時間半、降りてからは30分ほど走ると巨大な駐車場に着きました。係員に誘導していただいて車を停めるとゲートまではイカ焼きやたこ焼きなどの出店が立ち並び、気分を盛り上げてくれます。あしかがフラワーパークは出入口が2か所あり、私たちは駐車場から近い西ゲートから入りました。駐車場の広さやゲートまでのたくさんの人並を見て、チケット売り場は大混雑しているはずと覚悟していたのですが、意外と空いていました。窓口の数が多いのと、カード決済端末を窓口に置き、スムーズに決済できるように工夫されていたのがよかったのでしょう。
ゲートを潜った途端に色彩の洪水が目に飛び込んできて、思わず目を瞑りました。
赤白ピンクのツツジ、紫と白のブドウを山のように盛った棚を持たない藤の木、オレンジと黄色のポピー、そして周りを覆う新緑の木々。夢を見ているような光景でした。驚く間も無く巨大な紫の藤棚を目にしました。こちらも生まれて初めてみる程の大きさです。入場してすぐの景色で、まさに息をつく暇もありませんでした。場内地図を見ると大きな藤棚がいくつもあり、大藤、八重藤、大長藤と名前が付いていました。他にも薄紅の藤、白藤のトンネル、きばな藤(黄花藤)といくつもあります。まさにどこを切り取っても絵になる、美しい花々に囲まれた場所です。私たちが最初に見た藤棚は大長藤で花房が1.8mにも達する大きな藤棚でした。巨大な幹と藤棚の設置の工夫で、本当に一本の藤の木から巨大な紫の花房が垂れているように見えます。藤棚の先にはピラミッドのような形の花壇を配した池があり、とても写真映えのする構図となっています。椅子やテーブルも多く、お店もたくさんあり、飽きさせない、疲れさせない園の方の気配りに感動しました。その名も轟く「あしかがフラワーパーク」はまさに名実共にトップクラスのテーマパークでした。
ひとしきり季節の花の感動に酔いしれてから、その場を後にしました。まだ帰るまでには時間があったので、近くの神社を検索しました。トップに「足利織姫神社」(あしかがおりひめじんじゃ)が出てきて、フラワーパークからは7キロ、20分くらいで行ける距離なので早速参拝に向かいました。フラワーパークからしばらくは農道のような小道を何度も曲がったりしながら進みます。
その後は県道をひたすら走り、渡良瀬川を渡った時にふと昔流行った「渡良瀬橋」(わたらせばし)の歌を思い出したのです。30年以上も前の歌ですが、歌手の森高千里さんが当時アイドルとしてインパクトのある楽曲を出し続けていた中で、突如、自然情緒たっぷりの曲を歌い上げる姿に感動した事を昨日のように覚えています。渡良瀬橋で夕陽を見ながら別れた人を思い出すと言う曲ですが、歌詞には「織姫神社」ではなく「八雲神社」が出てきます。今日私たちが渡った橋も「渡良瀬橋」ではありませんでしたが、夕陽を浴びた橋や街並みを見ながらノスタルジックな気分に浸りました。
間も無く織姫神社野駐車場に着き、見上げると、ほぼ山になっていて麓から急な階段が聳えていました。ふと昨年参拝させていただいた「金刀比羅宮」を思い出しましたが、金刀比羅宮は初めこそお店が立ち並ぶ緩やかな坂道で、徐々に坂道が急になりアイドリングを上げていく仕様でした。
今回はいきなりトップギアで出力を上げていかなければなりません。織姫神社HP境内のご案内には「足利織姫神社は、織姫山の中腹にございますため一の鳥居から境内まで229段の階段がございます。手すりがございますので、ゆっくりと上がっていただけると思います。本殿右裏手には織姫山中腹の駐車場もご用意しています」とあります。
あっ、と思いました。よく調べてから行けば車で本殿の裏まで行けたのに。と一瞬思ってから、これはやはり一の鳥居からきちんと順を踏んで参拝させていただかなければいけないと思い直しました。
まだまだ初対面の神様に対する礼儀がなってないと自分を戒めました。とは言え、フラワーパークで散々歩いた後なので足腰にかなりきています。階段を登った踊り場でひと息ついては休み、また少しずつ登りました。途中にお蕎麦屋さんがありましたが、営業は既に終わっていました。
「織姫神社(おりひめじんじゃ)は栃木県足利市西宮町にある神社である。1200年以上の伝統と歴史をもつ足利織物の守り神であり織姫山の中腹に建つ朱塗りの美しい神殿は足利名勝のひとつとともなっている。古墳跡もある。1705年(宝永2年)に土地住民により創建された。のちに通4丁目の八雲神社の境内社として祀られた。そして織姫神社は1879年(明治12年)8月24日に通4丁目の八雲神社から織姫山に遷座されたが、1880年(明治13年)9月10日に火災により消失した。しばらく仮宮のままであったが、1934年(昭和9年)に再建事業を開始し、1937年(昭和12年)に現在の社殿が完成した。平等院鳳凰堂をモデルにしたと言う。
祭神は天御鉾尊(あめのみほこのみこと)と八千々姫命(やちじひめのみこと)である。
2004年(平成16年)6月9日に社殿·神楽殿·社務所·手水舎が登録有形文化財に登録された。
2014年に恋人の聖地に選定された。また2017年、月の風景が「日本百名月」に認定された」(Wikipediaより)
織姫神社が八雲神社の境内社であったと知り、昨年の出雲大社でも素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀った素鵞社(そがのやしろ)に参拝させていただいたことを思い出し、そのご縁に感謝しました。
織姫神社のHPにその由緒が書いてあります。
「1200年余の機場としての歴史を持つ足利。この足利に機織の神社がないことに気づき、1705年(宝永2年)足利藩主であった戸田忠利が、伊勢神宮野直轄であり天照大神(あまてらすおおみかみ)の絹の衣を織っていたという神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を八雲神社に合祀。その後機神山(現在の織姫山)に遷宮した」(足利織姫神社HPより)
神服織機神社は伊勢神宮と同じ三重県にあり天御鉾命と天八千々姫命をお祀りしています。
「この二柱の神様は共同して織物を織って、天照大神に献上したと言われています。織物は縦糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織りあって織物となる事から、男女二人の神様をご祭神とする縁結びの神社と言われるようになりました。また、織物を作る織機や機械は鉄でできているものも多いことから、全産業の神様と言われ、7つのご縁を結ぶ産業振興と縁結びの神社と言われています」(織姫神社HPより)
7つのご神徳とは「よき人、よき健康、よき知恵、よき人生、よき学業、よき仕事、よき経営」とそれぞれ縁を結ぶという意味だそうです。
機織りの神様と聞いて初めはピンとこなかったのですが、ここ足利が古くから織物産業が盛んであったと知り、なるほどと思いました。私の事務所の近くにある「川口神社」も明治6年に「金山神社」を合祀して、金属資源や金属産業の生産と流通、お金の円滑な流通を司る金山彦命を祀っています。
日本では昔から地場産業を大切にして、その土地の発展を願って神様を祀ってきました。流通が近代化され産業構造も複雑になりましたが、やはり暮らしている土地を護っていただいているという意味で地元の神社に参拝するのは自然であり、今後も続けていきたいと思いました。
織姫神社の左手には縁結び坂と言う緩やかな坂道があり、そこには伏見稲荷のようにたくさんの鳥居が七色に色分けされて建っています。たくさんの鳥居を潜る事によって願いが叶う(通る)とされています。
229段の階段を登り始めた時、朱色の階段の手すりが木々の緑に映えてとても綺麗でした。
ようやく登り終え、息を切らして眺めた社殿は平等院鳳凰堂を模したとあるだけに白壁に赤い柱と緑の屋根がとても色鮮やかで美しかったです。
心を込めてご挨拶させていただきました。
「遠くまでありがとうございます。これに懲りずにまたお寄りになってください」と丁寧におっしゃっていただきました。これに懲りずに、とはおそらくこの長い階段の事だろうと思いましたが、私たちの身体を優しく労っていただきました。凄く控えめで、まさに職人気質そのままの神様です。
社殿の右手にはやはり大きな藤棚があり、あしかがフラワーパークと同様に幹も美しく見せています。その奥に覗く街並みの美しさに息を呑み、境内端から改めてその絶景を楽しみました。渡良瀬川の先に見える小高い緑の丘は天正年間(1573-1592年)に、小田原の北条氏や甲斐武田氏に対抗するために、足利城を本拠とする足利長尾氏の出城として、家臣が使用したと言われる城で、淺間山城、富士山城、坊主山城と呼ばれる3つの連続した峰で構成されているそうです。晴れ渡った青空に白い雲、雲と同じ形の丘、広がる平野。どこまでも爽やかで澄み切った景色でした。
境内図を見て気づいたのが、神社社殿の上の山が古墳になっている事です。六世紀後半頃に作られたとされる前方後円墳で、明治時代と2008年に発掘調査が行われ、直刀、鏡、馬具、などが出土したそうです。現在の市街地付近を支配していた権力者の墓と推定されているそうです。六世紀と言えば日本は弥生時代に続く古墳時代。西ヨーロッパではローマ帝国滅亡の混乱期でした。遥か昔からこの山で人々の営みが続けられてきた事に驚くばかりです。
しばらくの間、歴史的な空間で悠久の旅をし、充分気が済んだ頃どちらからともなく「帰りましょうか」と声をかけました。
日が傾きかけて家や木の影が長くて伸びてきた街並みを見ながら、また「渡良瀬橋」の歌を思い出していました。森高千里さんも1999年に俳優の江口洋介さんと結婚してから25年、おしどり夫婦としてお二方とも素敵に歳を取られているそうです。このご夫婦が今なお幸せである事と、男女の神様が祀られている足利織姫神社が縁結びの神様として人気がある事で、フラワーパークのある足利市が花に囲まれた愛のある幸せな街だと確信しました。
世界が平和でありますように。